Larry Dimarzio ~リプレイスメント・ピックアップを生み出した男~ 9
前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/larry-dimarzio-8/
ビル・ローレンスのショップに預けたテレキャスターは、1週間後に訪ねると無事売却となっていました。
その夜ラリーは“Gas, Food and Lodging” というレストランでの演奏を控えており、ビルはそれを見に行きたいと言いました。
その日のバンドの演奏はラリーとしても不本意なものだったようで、ビルにも”もうちょっと良くなったらいいね”と言われそうです。
ちなみにそのバンドは1ヶ月後には辞めたそうです。(あまり良いメンバーがいなかったよう)
ラリーは、バンドやたくさんの仕事をこなしつつ、リペアとリビルトしたギターの販売のためにビルのショップへ通いました。
すぐ出来そうな簡単なリペアは店頭のその場で修理、出来なそうなものを自宅に持ち帰って修理しました。
ビルは、どんな簡単なリペアなものでも、修理後はしっかりと自身の手で演奏して動作の確認をしていて、ラリーの仕事ぶりには非常に満足していました。
同時期にMandolin Brothers(マンドリン・ブラザーズ)というショップからもリペアを受けていました。
このショップはポール・マッカートニー、ボブ・ディラン、ポール・サイモンなど名だたるプレイヤー達が訪れていた場所で、ジョニ・ミッチェルの”A Song for Sharon”の歌詞に現ることでも一躍有名になったそうです。
ちなみにジョニ・ミッチェルはショップで、Gibson K-4 Mandocello と Martin (1915年頃製) 000-28を購入しています。
この店は2017年におしまれつつ閉店となっています。
ラリーは、オーナーのハップ・カフナー(Hap Kuffner)からの紹介でジョージ・メル(George Mell)に出会いました。
ジョージは地元のベーシストで、様々なバンドと共演していました。
それ各地の質屋や楽器店を訪ねて、”良い価格”の楽器やレアな楽器を探しては売却するという副業もしていました。
フラットトップ・ギター/バンジョー/マンドリン → マンドリン・ブラザーズへ。
ベース/アーチトップギター → 彼自身でミュージシャンへ。
ソリッドボディ → ラリーへ。
という流れにしていたそうで、ラリーは修理したギターをビル・ローレンスのショップに持ち込んだり、良いビンテージの場合は直接自身の顧客に販売したりしました。
ちなみにインターネット上の噂で、
“ラリー・ディマジオはビル・ローレンスからピックアップの巻き方などを教わった説”
がありますが、そういったことは全くなかったそうです。(ビルはむしろ秘密主義だったよう)
ビル・ローレンスのオフィシャルサイトにはラリーはニューヨーク時代に弟子だったと記載しています…
ある日、ビルの店に行くと、それでは言い争いをしているビルを発見。
相手はビルのもとで働いている従業員のアーティー(Artie)。(彼はヴァイオリンプレイヤーだったそうで、ラリーと何度かセッションした仲だそう)
どうやら店の経営があまり上手くいっていない様子で、その頃からビルは自身のピックアップデザインをギブソンに売り込もうとしているとラリーに伝えていました。
それを聞いたラリーもビルと共に”ギブソンでの仕事を得る”という夢に乗っかっていこうと考えていました。
~続く~