077『ひまつぶし/お花見』 SO WHAT3/何処へ行っても
まだ、北鎌倉に住んでいたころだった。
「コレ、聴いてみ、トシが好きだと思うよ」
エミリが一本のカセットテープをくれた。
マジックで『ひまつぶし』って書いてある。
“ なんじゃろ? ”って思いながら音を流す。
ちょうど今と同じように、
季節が春めいてきた頃。
庭に面した障子窓を開け放ち、
早春の風に吹かれながら聴いたのだ。
すぐに冨士夫の歌声だってわかったから、
出窓から乗り出していた半身を引っ込め、
部屋の中でビールを注ごうとしていた
冨士夫に向かって言い放った。
「良いね、コレ!」って。
今さらながらに言われて、
なんとも複雑な笑顔になった冨士夫が、
少しぶっきらぼうに応えた。
「い〜からビールでも呑もうや」
溢れ出た泡を指にひたらせながら、
ガラスコップを持ち上げる冨士夫。
台所からは酒の肴の焼きものを作っているような、
なんとも香ばしい匂いが漂ってくる。
裏山から散り始めた桜の花びらが、
まるで雪のように庭に舞っていた。
その中を2歳になる娘が、
クルクルとはしゃぎ廻っている。
それは、まさに春爛漫な風景だったのだ。
……………………………………
´74年にエレック・レコードから発売された、
冨士夫のソロ・アルバム『ひまつぶし』は、
その後、エレック・レコード自体が
倒産してしまったこともあるが、
この話の´81年当時には、
すでに入手不可能な逸品になっていた。
冨士夫は、その前年に発売された
『村八分/ライブ』と共にカセットに録音し、
それを持ち歩いていたのであった。
この時、僕が聴いたのは
そのテープだったのである。
「あのときはさ、ポップスから
ブルーズへの過程で遊んでみたんだよ」
と、『ひまつぶし』を録音した当時の状況を
冨士夫は語っているが、
『村八分/ライブ』の後でもあり、
チャー坊と作り上げた音の世界とは
まったく対照的なアプローチに
仕上がっていたのだった。
このとき、冨士夫とコンビを組んで
制作したのが高沢(光夫)さん。
冨士夫とは同学年であり、
隣の中学を代表する不良(冨士夫曰く)だった。
「高校1年のとき、近所にすごい
バンドがいるっていうんで、
あわてて見に行ったんだ」
それが、モンスターズ(ダイナマイツの前身)だった。
その結果、高沢さんは高校を中退し、
バンドにくっついて廻るようになる。
モンスターズ がダイナマイツとして
デビューすることになっても手伝っていたのだが、
芸術肌の高沢さんは、
しだいに別の道に進むことになる。
そして、村八分が終わるころに再び、
冨士夫と再会するのであった。
それが『ひまつぶし』へとつながっていく。
「あのころ、僕には夢があってさ、
冨士夫ちゃんをアメリカへ連れて行って、
レコーディングをしたかったんだ」
というビジョンのもと、
高沢さんは先にアメリカへと渡り、
冨士夫を待っていたのだ。
しかし、そのころの冨士夫が
海外なんぞに行くはずもない。
(長い間、冨士夫は海外に行くことを拒んでいた)
「向こうから冨士夫ちゃんに電話したら、
行かない!って、ハッキリと言われた(笑)」
勇んだ心を収め、帰国して冨士夫と会う。
とりあえずデモテープのつもりで、
エレックのスタジオで10曲を録った。
しかし、そこまでの収録で
エレックからストップがかかったのだ。
そして、発売されたのが『ひまつぶし』、
山口冨士夫・ファースト・アルバムである。
このとき、高沢さんはアルバム収録10曲中、
9曲分の詞を『ひまつぶし』に提供している。
これがきっかけで『ZOON』というバンドを作り、
冨士夫と共に活動もしたのだが、
実にみごとなほどの短命に終わっている。
1989年に新宿アンティノックで行われた
TEARDROPSのライブに高沢さんは現れた。
こういっちゃナンだが、
けっこうコワモテのアンちゃんが、
風切って歩いて来る感じに見えた。
「誰?」
「ヨッチン(高沢さん)だよ」
喫茶店に行き、お互いの再会に笑顔になる。
高沢さんは、見た目とは対照的に
話をしてみると実にソフトな人柄だった。
10数年振りに西ドイツから帰国したというのだ。
この時の再会がきっかけで、
『SO WHAT』のインタビューも
実現したというわけである。
「お前なんか、とっくに死んでると思ってた」
そのとき、冨士夫は皮肉混じりに、
高沢さんとの再会を喜んだ。
「冨士夫ちゃんも、ある面で
俺の正体がつかめないんじゃない?」
高沢さんも、
早くから人生の機微を実感していた、
早熟な人格だったのだ。
その後の高沢さんが知りたくて、
いろいろと訊いてみたのだが、
ベルギーに行ったとか、
アメリカに行ったとか、
武蔵小金井に居るとか、
おぼろげな情報がまちまちで、
それこそ消息がつかめない。
どなたかご存知でしたらご一報くださいませ。
……………………………………
ということで、
北鎌倉で花見をしている場面に戻ろう。
『ひまつぶし』も裏面がかかっている。
「冨士夫さんとは、どうやって知り合ったんですか?」
なんて、訊かれることが多い。
「ある春先に、突然にウチに飛び込んできたんだよ」
そう、冗談めかして答えるのだが、
それが真実なのだから仕方がない。
それでも、最初のうちは常識に沿って、
数日で帰っていくのだろうと思っていた。
しかし、一週間たっても状況は変わらないのだ。
そっと、冨士夫とエミリを観察していると、
どうやらその気が(帰る気)ないらしく、
すっかりと茶の間で落ち着いてしまっている。
かといって、図々しいわけでもないのだ。
実に謙虚な笑顔を向けながらウチに居る。
そんな感じなのであった。
今になって思えば、冨士夫にとっては、
こーゆー状況は慣れっこだったのかも知れない。
ある意味、冨士夫は居候の天才でもあったのだ。
「帰ってくれ」
なんて、口が裂けても言えやしない。
会社帰りに家人に電話をして、
「まだ居る?」
な〜んて、そっと聞くのだ。
変わり無しの報告を受けて、
“どうしたもんやら?”とか、
“ガツ〜ンっと、かましてやるか!”
とかブツブツと呟き、勇んで帰るのだが、
玄関を開け、廊下を進み、
茶の間に入ったところで、
「トシ、お帰り、お仕事、お疲れさん」
なんて、当たり前のように
部屋の隅で小さくハマっている
冨士夫に言われた日にゃあ、
「ただいま」
っと、言うことになっちまう。
まして、チューニングもままならない
僕のオンボロ・ガットギターを抱えて、
ポロロンなんて
癒しのメロディをつま弾きながら、
「まあ、ビールでも」
なんて、注がれてみなさい。
誰だって“まぁ、い〜か”
って気になっちまうのだ。
そう、そんな感じで、
あのとき、花びらと一緒に
ひらひらと冨士夫自身も舞い込んできて、
僕らの時間の中に居着いてしまった。
お陰で、その後の僕の人生設計は、
(そんなもんあったのか?)
考えもしない方向へと針を振ったけど、
それでも、予想外の風景も
いろいろと見ることができたのだ。
あれから30年以上が経つ。
そして、今年もまた桜が咲く季節がきたのだ。
冨士夫と過ごした後年のお花見は、
彼の住んでいた玉川上水沿いに咲く、
200本の桜の下であった。
川沿いにずらりと並ぶ桜と、
その下に設営された屋台をひと通り眺めると、
たいがい居酒屋風の店に落ち着くのだ。
花見の時の冨士夫は、いつだって機嫌が良い。
簡単なつまみを頼み、ビールで乾杯をするのだ。
呑むほどに降り注ぐ花びらを、
ビールの泡ですくって、
思わず北鎌倉を思い出したりする。
30年以上も前の残像が、おぼろげに胸に迫ってくる。
その中で、2歳になる娘がクルクルと舞っていた。
「凄いぜ、トシ、見てみろよ」
冨士夫が指す方向を見上げると、
満開の桜が風に揺れている。
狂ったような桜の色に吸い込まれながら、
機嫌良く口ずさむ冨士夫の歌声を聴いていた。
それが、何の曲かはわからなかったが、
よく聴くと、
遥か昔からずっと聞き慣れた
暇つぶしのような音色だったのだ……。
(1981年〜90年〜2010年)