130『新年の(遅い)ご挨拶』
真夜中、母親に起こされた。
「足が痛い」と言うのである。
おかしな話だ、
感覚のない左足のほうが痛いのだ。
母親は脳梗塞で左半身が麻痺している。
母親の介護を始めて、
もうすぐ10年近くになるのだが、
真夜中に飛び起きて思いやる、
この手のヘルプはつらい。
布団をめくり、母親の左足に
薬をつけながら思わず愚痴ってしまう。
眠たさと、言いようの無い虚無感に、
取り返しのつかない残酷な言葉が
頭の中をよぎるのだが、
ソレをぎりぎりのところで
飲み込むことができた。
「アブナイ、あぶない、がまんをしよう」
母親の部屋の電気を消して、
自分の寝床に戻ったのだが、
アタマが覚醒して、
完全に眠れなくなった。
いつも天使のような気分で
優しい介護ができれば
良いのだけれど、
そうはできない罪悪感と、
この状況に対する被害妄想とで
朝までまんじりともできない。
布団を頭までかぶり、
目をつぶると冨士夫が出てきた。
母親と同じように痛がっている姿を
思い出したのである。
慢性的な痛さというものは
電気が流れているような苦痛らしい。
少なくとも二人の意見は
そこら辺で共通している。
眠れない頭の中で、
まるで夢を見るように
闘病時の冨士夫に接した日々を
想い起こしていた。
「また、正月に来るからさ」
10年くらい前の年の瀬になるだろうか、
エミリも実家に帰っていて、
独りぼっちで部屋に佇む冨士夫に
思わず優しい言葉をかけた。
「無理しなくていいから」
そう言って無表情で笑う
冨士夫を背に帰ったのだが、
いざ年が明けてみると、
どうしても冨士夫の方に足が向かない。
“正月くらい、自分のためにのんびりしてもいいんじゃないか?!”
もうひとりの自分が言う。
冨士夫からも連絡がない。
おせちの残りでも持って、
甲斐甲斐しく駆けつけて、
「おめでとう」とか言って、
雑煮のひとつでも作ってやりゃあ、
どんなに喜ぶか解っているのだが、
羽村までは途方もなく遠く感じたのだ。
結局、約束をやぶることになった。
途方も無い罪悪感の中、
新年の4日に冨士夫を
訪ねたのを憶えている。
「あけおめ、トシ。正月、来なかったな」
“わかってたよ”とでも言うように、
乾いた口調で冨士夫が言った。
自分の情けなさは、
ソコのところだと解っている。
心のどこかにピークがあって、
そこまでに達すると
それ以上の事はしない自分がいるのだ。
もともとが楽天主義なので、
愉しく出来ているうちは
どこまでも鼻歌混じりなのだが、
分岐点にまで来ると迷いが生じる。
バンドをマネージメントすることが
気持的によく解らなかった頃に、
フールズだった時のカズ(中嶋カズ)に
言われたことがある。
「デザイナーなんだから、デザインするようにやりゃあイイじゃん」
訳のわかんない意見だったが、
“そうだな”と想った。
要は愉しくできればいいのだ。
それでも、
「ほんとはデザイナーなんですけどね」
なんて、対外的に自己紹介したりしていた。
まあ、そんな、
中途半端野郎だったのである。
´88年だったか、
ジョニー・サンダースが
クロコダイルのライヴに
ゲスト出演してくれることになったとき、
昼間のうちにマネージャーと会って
打ち合わせをしてくれと言われ、
勇んでまだ誰も居ないクロコに出向いたら、
スーツをパリッと着こなしたハンサムガイが
ステージに腰掛けてポーズを決めていた。
コチラに気がつき、
イギリス人っぽく握手を求めてきたその男は、
「僕は、ほんとはデザイナーなんだけどね」
と、イングリッシュ・スマイルを見せた。
「えっ!? あっ、ミー ツー」
と、あわてて挨拶を返したのだが、
通じたのかどうかは定かではない。
後から、
それこそツアーを仕切っていた
鳥居賀句さんから、
「彼はパーソナルなマネージャーじゃないよ。今回、ジョニーのカッコ付けのために仮に連れて来ただけの奴なんだ」
と聞いて、
なんか鏡に映したような話だなと想った。
似たよーな輩には、
似たよーな野郎が付いて、
似たよーな話になるのだろーか?
僕にとっては、
実に不可思議な笑い話なのである。
そんな事を想っているうちに
いつの間にかに
眠ってしまったらしい。
その夢の中では、
ほんとうに冨士夫が出て来て、
少し大きめの会場で
バタバタと動き回っている自分がいた。
ライヴを仕切っているシーンだった。
けっこう、イイ夢だったって気がする。
目を覚まし、
耳を澄ましてみた。
隣りの部屋からは、
動けない母親が
ゴソゴソと動こうとする
布団擦れの音が聞こえてくる。
僕は、大きく深呼吸をし、
いつになく優しい息子になった気分で
母親を起こしに行く。
「足は痛くない?」
布団をはがしながら訊くと、
「あぁ、おなかがすいた」
と言う。
ベッドから上体を起こし上げながら、
「足は痛くないの?」
と、もう一度訊いてみた。
母親は、
きょとんとした顔をして
コチラに向き直ると、
「こまったなぁ、のどがかわいて、おなかがすいちゃったのよ」
……そう答えるのだった。
…………………………………
皆様、新年もとっくに明け、
成人の日も行き過ぎました。
遅ればせながら、
本年もよろしくお願いいたします。
さて、『山口冨士夫とよもヤバ話』も、
3年と9ヵ月が過ぎようとしています。
北鎌倉に住んでいた頃、
すべての音楽活動をやめ、
普通の人になって
我が家にローリング・インしてきた冨士夫が、
「実は、とっても良い人だったんだよ」
ってことを書きたかっただけの
ノスタルジックなブログが、
ズルズルだらだらと続いてしまい、
ついに話は´90年代には入り、
新たなる分岐点にまで
来たってワケなのです。
こうやって書いていると、
自分自身の人生が
いかに『行き当たりバッタリ』
だったのかと
あきれるばかりなのですが、
もともとが人生に
然したるビジョンもなく、
“なんか、面白いことはないだろうか?”
と脇道をほっつき歩く犬のよーに、
はたまた、
塀の上で寝そべる猫のごとくに、
愉しくのんびりと過ごすのが
大好きな性格なので、
行き会う誰かに、
「ブログ面白いよ」
なんて、声をかけられると、
嬉しくて仕方がなく、
気分に任せて書き続けて
しまうのであります。
そんなわけで、
よろしければ今年もどーぞ
お付き合いのほど、
よろしくお願いいたします。
(2019年初春)
PS/
おみくじを引いたら【大吉】でした。
他の占いをみたら、
2026年まで続く大強運なのですと。
ほうんとうかしら?
良いことは信じるに限ります。
なんちゃって、
そんな新年なのです。