J.W. Black ~プロフェッショナル~
Fender Custom Shopにおける最高機種を作り続けている”Masterbuilt”シリーズ。
一人一人のビルダーについて少しだけ深掘りしてみます。
1989-1999, Fender Custom Shop
1999-2002, Manufacturing / Quality Assurance Dept.
というフェンダーでの経歴ですが、どのような人物だったのでしょう。
学生の頃、1971年製のテレキャスターを知人から50ドルで譲ってもらい、そのテレキャスターを学校の木工のクラスに持ち込んで、先生に教わりながらボディトップにチェリー材を貼ることに。
その時の作業を”簡単”に感じた彼はひょっとしたらこれは自分に向いているのかもと思ったそうです。
地元ペンシルバニア州のローカルショップでギターリペアを学びながら仕事をします。
ある日、マーティン社のディック・ボークと知り合うことになり、ギター作りに対する姿勢に触れることに。
その後、彼を通じて、当時フィラデルフィアにいたロジャー ・サドウスキーのもとで一緒に働き、学ぶことになります。
1985年にはRoger Sadowskyの元では初となるフルタイムの従業員として雇われることになりました。
そこでの活躍が評価され、1989年にフェンダーからの誘いが来ることになります。
当時のマネージャーのジョン・ページ(John Page)がオファーした段階で、実はHamerでの面接を受けたり、Gibsonへの入社も考えていたようですが、最終的にFender Custom Shopを選びました。
もしGibsonを選んでいたら、今のTom Murphyのような存在になる可能性もあったかもしれませんね。。。
JW Blackは入社当初からマスタービルダーとして招かれています。
カスタムショップ内では最初からマスタービルダーなのは実は少数で、当時のマスタービルダーはマイケル・スティーブンだけでした。
数々の名ビルダーを輩出したカスタムショップの中でもトップクラスの評価を得ているJ.W.Black氏。
どんな人物だったかをビルダー達が証言しているので紹介します。
~Dan Smith~
他のビルダー達はだらしなかったりする部分があるが、JW Blackはとても几帳面でプロフェッショナルだった。
当時のカスタムショップには彼のような技術レベルで頭脳がある人物が本当に必要だったんだ。
そして事実、彼は誰よりも頼りになった。
自由気ままな個人工房のビルダーのように振る舞うのではなく、”工場”に在籍しているという意識と態度を持っていた。
工場に勤めるスタッフにも敬意を持って接していた。90年代半ばのカスタムショップのまさにキーパーソンだったよ。
~Gene Backer~
JW BlackとJonh Page は沢山のことを一緒に決めていた。
Blackは優れたビルダーであると同時に整理整頓とマネージメントのできる人物。
Pageは経営上の管理などを主にやっていたが、Blackはカスタムショップのフロアにおいて、彼の”耳”と”目”になっていた。
~Fred Stuart~
JW Blackがカスタムショップのビルダーたち一人一人の才能や技術を最も理解していて、ビルダーのマネージメントもしていた。
John Pageもその能力に長けていたが、彼は徐々にペーパーワークで忙殺されていたから、Blackに任せている部分もあった。
オーダーに合わせてビルダーを選ぶこともやっていたよ。
~John Grunder~
彼は私のヒーロー。
当初のカスタムショップはオーダーに対しての相当な遅れが生じていたにもかかわらず、Blackがくることで、それが解消された。
非常に几帳面な人物。
早く仕事こなすための段取りをなんかもやってくれた。
これら証言から想像すると、J.W.Black氏はビルダーとして優れているというだけでなく、管理能力やコミュニケーション能力などにも長けた人物だったのではないでしょうか?
レリックの誕生にも尽力を注ぎ、ルー・リード、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン等といった世界的な名手との仕事も手掛け、10数年にわたるフェンダーの仕事で名声を獲得したJ.W.Blackはフェンダー初となるシニアマスタービルダーの役職に就いたのちにフェンダーを退職します。
その後の活躍はこちらでどうぞ。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/jw-black-vince-cunetto/