アイルランドのミュージシャンとアイルランドのお話 ~Thin Lizzy編 Part.4~
こんにちは、スタッフ高橋です!
10月も折り返し地点の15日。
今日はSuper GT オートポリス戦の決勝日です。
ついに立川祐路選手の走りを拝めるのもあと2戦になってしまいました。
推しドライバーの1人だったので寂しい反面、
30年を超えドライバーを続けてくださったことに感謝です。
ラウンド的にはTom’sのエース宮田莉朋選手が華麗なオーバーテイクを決めて、
36号車が暫定トップ、シリーズ優勝にも大手をかけています。
最終戦茂木も楽しみにしていきましょう!
さて。
今回もアイルランドを代表するミュージシャンと、アイルランドのお話をしています。
前回はツアー中にも関わらずゲイリー・ムーアが失踪、
この先どうなるんだシン・リジィとフィル・ライノット!
というところで終わっていました。
今回はその続きです。
1980年、ゲイリー・ムーアという重要メンバーを失ったThin Lizzyですが、
バンド存続のためにスノーウィー・ホワイトに参加を要請。
そしてシングル「Killer on the Loose」をリリース。
翌年も「Renegade」やシングル「Trouble Boys / Memory Pain」を発表しますが、
セールスが振るわず結局スノーウィーもバンドを脱退してしまいます。
そんな中1974年からバンドを支えてきたスコット・ゴーハムがリハビリを希望、
他メンバーや事務所も含めフィル・ライノットに解散が提案されます。
しかしながら、ハードロックのマーケット拡大や、アイアン・メイデンに
「Massacre」がカバーされたこともあり、フィル氏はまだバンドの希望を捨てずにいました。
ここで登場するのがジョン・サイクスです。
何を隠そうサイクスはテレビで見たゲイリー・ムーアの演奏に衝撃を受け、
より真剣にギターと向き合うようになったという経歴の持ち主です。
まさに出会うべくして出会ったようなメンバーでした。
1983年そのジョンが参加した「Thunder & Lightning」がリリースされます。
が。
残念ながら3月に歴代メンバーを招集して行われたHammersmith Apollo公演を行い、
その模様が収録された「Live/Life」が最後の作品となってしまいました。
その3年後の1986年、フィル・ライノットはヘロイン注射に伴う
内臓の感染症、敗血症によりこの世を去ってしまいます。
36歳の若さでした。
現在フィルは故郷アイルランド、ダブリンのSt Fintan’s墓地に眠っています。
Suttonというダブリン湾に面した小島のような地域で、
19世紀にイギリス帝国が築いた小さな防御砦”マーテロー塔”があることで有名です。
アイルランドに行く機会がありましたら、ダブリン空港に降りる方が多いと思います。
比較的近いですので是非お墓参りに行ってみてくださいね。
それでは。