[ニコニコ雑記] ウッドストック

こんにちは、店長の野呂です。

8月もすでに後半、夏フェスラッシュももう終わりが見えてきましたね。

1969年の8月15日~17日、ニューヨーク・サリバン郡にあるマックス・ヤスガー氏の農園にて世界で一番有名な音楽フェス「ウッドストック・フェスティバル」が行われました。

今年から数えて55年前ということで、出演者の中には今なお活躍しているミュージシャンがいることに驚きます。

(ウッドストックと聞いて思い出すのはやはりこちらのギター。)

さて、そんなウッドストックが開かれていたのは前述した通りマックス・ヤスガー氏が所有する農園でした。

当時ウッドストックフェスティバルののオーガナイザーは最初に予定していたライブ会場が近隣の反対で使用できなくなったことに困っていたそうです。

そこに救いの手を差し伸べたのがMax Yasgur氏でした。

そして18万6000枚のチケットが売れましたが、ご存知の通り当日は予想をはるかに上回る40万人以上が詰めかけ(半数はチケットを購入していない人々)、最終的にはほぼほぼフリーフェス状態となりました。

フェスが終わるとアーティストたちはマックス氏への感謝を込めてか、はたまた良き思い出となったのか作品の中に彼の名が組み込まれることもありました。

例えばMountainが1970年にリリースしたアルバム「Climbing」には「For Yasgur’s Farm」という楽曲が収録されています。

またJoni Mitchelが作曲した楽曲「Woodstock」には、”I’m going down to Yasgur’s Farm”という一節があります。

ちなみにJoniはWoodstockに出演しておりませんでしたが、当時の恋人Graham Nashから聞いた話で作曲されたそう。

さてMax氏のお話に戻ると、実は悲しい結末が待っていました。

もともとウッドストックの開催が決まった段階で、近隣住民からは「ヒッピーが集まるヤスガー祭」と煙たがられ、
反対派の住民によって開催前から牛乳の購入打ち切りなどの嫌がらせを受けていたそうです。

そしてフェスが終わると「フェスティバルに集まった観客たちによって自分たちの土地を荒らされた」として周辺の住民から訴訟を起こされることになってしまったのです。

1971年には和解が成立したようですが、ヤスガー氏は農場を売却してフロリダに引っ越してしまいました。

たださらに悲しいことに移住から半年後の1973年2月、マックス氏は心筋梗塞により53歳の若さでこの世を去ってしまうのでした。

現在ウッドストックが開催されていた農場は「ベセル・ウッズ芸術センター」に姿を変え、館内にはウッドストック・ミュージアムも設置されました。

他にも様々な博物館が設立され、たくさんのコンサートやイベントが行われています。

いつかは足を運んでみたいものですね。

今回はこの辺で。

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