ハッピーバースデー、Trini Lopez!

こんにちは、スタッフ髙橋です。

昨日5月18日はGT300 GOODSMILE RACINGのドライバーであり、
初代D1チャンピオンであり、カーオブザイヤー選考委員であり、
元AFTER-FIREの谷口信輝大先生のお誕生日です!

53歳おめでとうございます!

今週末はお誕生日にも関わらずFDJの審査員ですね。

多忙すぎるのでどうかご無理なさらずに…。

FDJといえば本戦より我らがTeam Valinoのエース中村直樹選手が登場です!

惜しくも山中真生選手に負けてしまいましたが、初戦としてはかなり良い成績だったのではないでしょうか。

D1の初戦奥伊吹も優勝を飾りましたし、
是非この勢いで今シーズンのFDJも良き成績になることを祈っています。

さて。

ちょっと日付を遡りますが、今週の水曜日5月15日はTrini Lopez氏のお誕生日でした!

4年前に83歳で亡くなってしまったそうですが、
現在もTrini Lopezモデルは市場にありますしどこか身近に感じます。

ただ逆にシグネチャーモデルが先行したおかげで、
ロペス氏自体のことをあまり知らない方も多いかもしれません。

ロペス氏は1937年5月13日、テキサス州ダラスで生まれました。

父親のトリニダード・ロペス2世もミュージシャンで、
息子であるロペス氏の本名も”トリニダード・ロペス3世”です。

ダラス近郊のリトル・メキシコのアッシュランド・ストリートで育ち、
グラマースクールと技術高校に通うこととなりますが…

家族を養うために金を稼がねばならず、最終学年で退学。

15歳になるとテキサスのウィチタ・フォールズで最初のバンドを結成し、
1958年にバディ・ホリーの父親の推薦でコロムビアレコードから
インスト作品「Clark’s Expedition」を発表。

発売後にロペス氏はグループを離れ、テキサスのヴォルク・レコードから
自作曲「The Right To Rock」を発売しソロデビューします。

翌1959年にキングレコードへと移籍するものの鳴かず飛ばず…

1962年に契約切れを迎えます。

その後ザ・クリケッツのボーカリストオーディションを受けるも落選、
ウエスト・ハリウッドのナイトクラブ「P.J.’s」の専属歌手となりました。

しかしここでファンを増やしたロペス氏に転機が訪れます。

クラブを訪れたフランク・シナトラがロペスの歌とギターに可能性を見出し、
1960年にシナトラが設立したリプリーズ・レコードと契約。

ドン・コスタのプロデュースの下、P.J.’s」でのライブ録音が行われ、
1963年にライブアルバムとして「Trini Lopez at PJ’s」が発売されます。

このデビュー作がビルボードのアルバムチャート2位を記録し、
シングルカットされた「If I Had a Hammer (The Hammer Song)」ヒット作となります。

Gibsonからシグネチャーが出たのもこの頃。

1964年にセミアコの”Trini Lopez Standard”とフルアコの”Trini Lopez Deluxe”が発売されます。

ご本人はやはり上位モデルのDeluxeを使っていることが多かったです。

Standardはむしろ本人よりこの方とか。

この方とか。

相方のこの方とか。

最近だとこの方のイメージの方が強いかもしれません。

楽器としてとてもかっこいいですよね。

憧れの一本かな…

1970年には生産されなくなりますが、いまだに愛されているモデルですね。

Gibsonと契約が終わった1975年のお写真を見ながらお別れです。(左)

それでは!

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