ピーター・トッシュの日
こんにちは、スタッフ髙橋です!
明日9月12日はPaul Walker氏のお誕生日です、
おめでとうございます!
皆様1度は「ワイルド・スピード」ご覧になったことあるはず!
いつ何時見てもブライアンは世界一のイケメンです。
映画の中で「やっぱり日本車が一番」というキャラでしたが、
私生活でも乗っていらっしゃったのが尊いです。
2011年に来日した際はGT-Rチューンで有名な”Mine’s”さんに立ち寄り、
我らがラーマン山田氏と共に試乗を楽しんでいる姿が印象的でした。
ひさびさに1作目から最新作まで見返さねば…
さて。
本日9月11日はおそらく世界で一番有名なレゲエ・ギタリストの命日でした。
ピーター・トッシュです。
Stepping Razor[歩くカミソリ]と呼ばれるほど短気な性格だったようですが、
あのワルなルックスを含め、現在もレゲエ界のアイコンの1人です。
1944年にピーターはグランジヒルで生まれ、
後に曲名にもなるキングストンのスラム街”トレンチタウン”に移り住みます。
そのトレンチタウンで出会ったのがウェイラーズでキャリアを共にする
ボブ・マーリーでした。
「レゲエの父」と呼ばれるジョー・ヒッグスの音楽教室に通っていた両者は、
音楽とラスタファリ運動について彼から学び、スタジオ・ワンのオーディションを受けます。
そして1962年に”ザ・ウェイリング・ウェイラーズ”を結成、
途中1967年に”ウェイラーズ”に改名しつつ1974年まで活動が続きました。
1973年、自身のレーベル”Intel-Diplo HIM”を立ち上げ、
ソロ活動の準備を進めていくこととなります。
そして翌年、ウェイラーズの所属していたアイランド・レコードからトッシュのソロアルバムを
発売することが拒否されたのをきっかけに、ウェイラーズを去ることとなったのです。
晴れて1976年にリリースしたソロアルバム”Legalize It”は
印象的なタイトルとジャケットのおかげもあり皆のアンセムとなりました。
1978年にはローリングストーンズのアメリカツアーでオープニングアクトを務め、
同年にはローリングストーンズ・レコードに移籍。
ミック・ジャガーとキース・リチャーズも参加した”Bush Docotr”をリリースし
“Don’t Look Back”ではミックとのデュエットが楽しめます。
その後1983年にリリースされた”Mama Africa”まで
計5枚をローリングストーンズ・レコードよりリリースしました。
精力的に活動するも1987年の9月11日、
自宅に入ってきた3人組の強盗に襲われ射殺されました。
享年42歳。
その10日後に遺作となってしまった7枚目のアルバム”No Nuclear War”がリリースされ、
グラミー賞のベスト・レゲエアルバム賞を受賞しました。
そんなピーター・トッシュの愛機といえば60年代製のLes Paul Specialです。
![](https://www.niconico-guitars.com/html/blog/wp-content/uploads/2022/09/PeterTosh-LA-9-79copy2-683x1024.jpg)
TVイエローフィニッシュ、ダブルカット仕様で、
ボディトップのブリッジ下に特徴的な”エチオピア”ステッカーがございます。
トッシュが亡くなった後はギターコレクターとしても有名な
リチャード・ギア氏のコレクションに加わりました。
もう一本有名なギターといえば”M-16″ライフルをモチーフにした
カスタムギターです。
![](https://www.niconico-guitars.com/html/blog/wp-content/uploads/2022/09/PTM16.jpg)
ラージヘッドのFenderネック、テレキャスターブリッジとなかなかなスペックですが…笑
これもトッシュが持つと素晴らしくかっこいいですよね。
いつかは実物を拝んでみたいギターの一つです。
今夜はBush Doctorを聴きながら帰宅しようと思います。
では!