ロジャー・サドウスキー ~トップベースブランド~
マーカス・ミラー、ウィル・リーを始めとするトップミュージシャン&スタジオミュージシャンから絶大な支持を得る最高峰のブランド。
創立者のロジャー・サドウスキー(Roger Sadwosky)の経歴やエピソードなどについて深堀したいと思います。
1950年代、ロジャー・サドウスキーはフランク・シナトラやナット・キン・コールを聴く父とブロードウェイミュージカルをこよなく愛する母の間に生まれる。
幼い頃にピアノレッスンを4年ほど受けるが、講師から”両親のお金の無駄遣い”と言われやめています。
1969年、大学3年の時にギターを始める。当初はゴードン・ライトフット(Gordon Lightfoot)やポール・サイモンのフィンガーピックスタイルから入ったそう。
当時は俗に言うヒッピーだったそう。
ラトガース大学で精神生物学(動物行動学)博士号の課程にいたサドウスキーは、在学中にプロのフォークミュージシャンたちと交友関係を持つことになり、その時にマーチンのヴィンテージギターと出会います。
それからギターの虜となってしまったサドウスキーは、ギターメイカーになることを考えて、世界中のギターメイカーやルシアーに”Apprenticeship”(インターンシップのようなもの)の希望の手紙を出すことにしました。
しかし弟子を取りたいというルシアーは見つからず。。。
1972年、なんとサドウスキーは、博士号課程を捨てて、楽器屋でのギターの販売員の仕事を始めます。
(注釈するまでもないとは思いますが、博士号を諦めるということは、相当な覚悟ですね)
その店で販売していたアコースティックギターを製作していたルシアーであるオーガスティノ・ロプリンジ(Augie LoPrinzi)を直接訪ねて、弟子入りを希望、そして迎えられることになります。
ちなみにこのオーガスティノ・ロプリンジ氏は今でも現役で活躍されているようです。ご興味のある方は下記リンクへどうぞ。
http://www.augustinoloprinzi.com/
2年間ほど働いたサドウスキーは、オーガスティノ・ロプリンジの元を離れ、フィラデルフィアにあったメドレーミュージック(Medley Music)という店を引き継ぎ、そこでリペアショップを始めることにしました。
ビルダーとしての地位を築くには時間がかかるであろうことも鑑みて、生活のためにもまずリペアから始めるのがいいだろうと考えました。
加えて、リペアを通じて楽器にどんなトラブルが起こり得るかなどを見ることで、より良いビルダーになれるだろうと思ったそうです。
それから5年ほどの間に、サドウスキーは修理や改造で業界で高い評価を得ていきます。
その頃の顧客の一人にクレイグ・スナイダーというギターリストがいました。
彼はフィラデルフィアからニューヨークへ移転しましたが、転居後もサドウスキーのところに自身が楽器を持ち込み、さらには知人や友人の楽器も持ち込んだそうです。
それを疑問に思ったサドウスキーは理由について聞くと、
“君以上に優れた人がニューヨークにいないからだ”
と答えたそうです。
それを聞いて驚いたサドウスキーは、それから毎週末フィラデルフィアからニューヨークに足を運び、クレイグや友人たちの紹介を受けたミュージシャンから楽器を預かり、フィラデルフィアでリペア&セットアップしてからまたニューヨークに持ち帰るということを、半年程続けました。
そして自信をつけたサドウスキーは、1979年9月、自身のホームタウンであるニューヨークに工房を移すことになり、そこでニューヨークのトップスタジオ&セッションミュージシャンたちのためのリペアを始めます。
~その2に続く~