~レリックの誕生 JW Black & Vince Cunetto ~ 前編
~レリックの誕生 JW Black & Vince Cunetto ~ 前編
現在では非常に高い人気で定番とされるレリック(エイジド)加工ですが、
Fender Custom Shopによるものが作られるまでは、そんなものは”贋作”や”偽物”に近い認識で、広く到底受け入れられるものではありませんでした。
このレリックモデルが正式なカタログモデルとして生産されるのは1990年代後半のことで、その誕生のためにはJW BlackとVince Cunettoという二人のキーパーソンがいました。
JW Blackは90年代当時のFender Custom Shopのマスタービルダー。
Fender Custom Shopに入る以前に所属したSadowskyの頃から、すでにレリック自体のコンセプトは存在しており、彼自身もヴィンテージのレストアに伴ったレリックをしたこともあった。
Custom Shopに入ってから2年後のある日、
Don Wasから彼の新しいベースを”新しいスニーカーのように見えないように傷つけたりしてくれないか?”とのリクエストを受けて、”レリック”のベースを製作することになりました。
(Keith Richardsのリクエストからレリックシリーズが始まったという話が一時期噂で流れていたようですが、これはデマのようですね)
その後、ワンオフとしてアーティストのためにレリック加工されたものが時々製作されることになりますが、正式な販売品やカタログ製品とはまだなりませんでした。
しかしこの頃から特に彼は”Relic”の製作を考えるようになりました。
一方もうひとりのキーパーソンのVince Cunettoはフルタイムのルシアーではなく、広告業界の会社に勤めており、副業としてヴィンテージギターのトレードをしていました。
本当はヴィンテージのテレキャスターが欲しいが、金銭的に購入が難しいことから、似せたものを作ろうと自分でエイジングの加工を始めることに。(かなりの凝り性だったと思われる)
ある日、JW BlackとVince Cunettoは二人の共通の友人であるヴィンテージギターディーラーのJim Colclasureを通じて出会うことになり、JW BlackはCunettoの作ったエイジングされたパーツやギターを見ることになります。
この時見たエイジングのクオリティの高さにJW Blackも驚いたようです。
Cunettoはデカールの精巧なレプリカまで作ってしまい、それらをギターショーなどで売り出していました。(これはもちろんダメですね。。。)
それを知ったJW Blackはこんな提案をします。
“Fenderは君がデカールを作っているのは知っている。そしてそれはダメなことだ。
が、もしそれらを他に販売するのをやめて、カスタムショップのために製作してもらえるようなら歓迎する。”
そこからCunettoとFenderの契約が始まり、ワンオフや限定生産もののギターのために年代的に正しいデカールやピックガードなどのパーツを提供する。
ちなみに彼の作ったピックガードはRon Woodのヴィンテージテレに使われることに。
ギターを丸ごとレリック加工するというコンセプトが出てきたのは、そのエイジングしたブラックガードを送った後だった。
二人は話合いの中でこんな風に考えに至ります。
“レザージャケット、ジーンズ、アンティークの復刻品などがあるのだから、なぜギターは駄目なんだ?”
そしてJW Blackは、Cunettoが個人的に製作したレリックギターを、ついにCustom ShopのマネジャーであるJohn Pageに紹介することに決める。
それを見た彼はレリックプロジェクトにポテンシャルを感じ、いくつかのサンプルを作るように指示を出したが、Fender内でも極秘プロジェクトとして扱うことにしたようで、このとき絶対に”他言無用”と釘をさされたようだ。
その後、1994年12月~95年1月に急ピッチで複数本制作された中で、”Nocaster”と “Mary Kaye”の2本のギターがプロトタイプとして選ばれることになり、1995年のNAMMでセンターステージのガラスディスプレイで華々しく公表される。
“自らのヴィンテージギターに敬意を表したギター”としてディーラー達からは非常に好評を得ることになり、当時のFenderのマーケティング担当だったMike Lewis氏も大絶賛する。(本当に極秘だったようですね)
かくしてRelicシリーズの販売は決定するが、そこからはどのように”製品”として制作していくかが問題に。。。
~後半へ続く~