Eric Clapton シグネイチャーモデル ~完成までの道のり その2~

第一回はこちら
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/eric-clapton1/

-1986-

クラプトンからのネックの承認完了後、ダン・スミス(Dan Smith)とジョージ・ブランダ(George Blanda)は最初のプロトタイプの製作へ移ります。

最初期にクラプトンが選んだカラーは
フェラーリレッド ~フェンダーはトリノレッド(Trino Red) と命名~
メルセデスカラー ~本人はチャコールグレイと言っていたカラーで、フェンダーはピューター(Pewter)と命名~

後のことですが、3色目にはなんとジュースの”7UP”の缶に使われているグリーンカラーが採用されます。(もちろん本人の意向で)
公式にはCandy Greenと命名されています。

ジョージにより3本製作されたものをアルバム”August”をLAのSunset Sound Studiosでレコーディング中のクラプトンの元へ持ち込みます。
夜通し製作とセットアップに取り組んでいたジョージは冗談混じりに”シガレットバーンもつけとくか”などと話していたようで、
そのことをクラプトンに伝えると
“自分でやるから大丈夫だ”と笑っていたそうです。

この時のプロトタイプのボディは’57 Reissue/21フレットネックだったそうで、クラプトンの承諾を得たことで、改めてこの2週間後に更にブラッシングされたプロトタイプが製作されます。

本人のリクエストに沿った形で、現在のようなブロックの入ったトレモロ&電池を隠したアクティブサーキットの搭載されたものが作成され、またスタジオに持ち込みます。

そのギターをクラプトンはとても気に入って、すでにレコーディング済みだったソロのいくつかをまた撮り直したそうです。

クラプトンは、そこから1年半程度の間、そこで渡したプロトタイプをツアーやレコーディングで使用し続けます。
特に気に入っていたのが、トリノレッド/シャープVネックの1本だったそうですが、ツアーのある時点で”合わなくなった”ようで、ネックシェイプが”Blackie”に近いピューターの方に好みが移ったようです。

その1年半ほどの間はクラプトンとのコンタクトが難しかったようで、シグネチャーモデルのデビューにかなり遅れがでましたが、一番の理由は、
すでに一番シャープなVで紹介し始めていたのに、クラプトンの好みが変わってややソフトなVシェイプに移行したことでした。

そして1987年、マイケル・スティーブンス(Michael Stevens)とジョン・ペイジ(John Page)によりカスタムショップが発足。
ここからシグネチャーモデル作成にこの二人の力も加わることになりました。

余談ですが、プロトタイプとして1986年に製作された”Pewter”カラーのシリアルナンバーV000009のストラトキャスター(1988年にマスタービルダーのマイケル・スティーブンスに製作された22フレット仕様のネックに付け替えたもの)は、1999年のクリスティーズオークションで、$95,000で売却となっています。

~続く~

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