Eric Clapton シグネイチャーモデル ~完成までの道のり その3~

第2回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/eric-clapton-2/

-1987~1988年-

1986年に渡した3本のプロトタイプ(のちにダン・スミスとジョージ・ブランダにより作られた追加がもう1本)はツアーなどに酷使されたことで、ボロボロに。
クラプトンはさらに3本の新しいギター&ピューターカラーのプロトタイプにつけるためのネックをもう1本リクエストします。

ここから初めて、ダンとジョージではなく、新設当初のカスタムショップの二人であるマイケル・スティーブンス(Michael Stevens)ジョン・ペイジ(John Page)がクラプトン本人のためにギターを製作することになります。

マイケルが手がけることになった頃は、プロダクションモデルを製作するための最後の調整段階に入った時期で、ネックシェイプの再考にかかっているところでした。

第2回での説明があったとおり、クラプトンの好みは“Martin V”から“Blackie”ネックに移っています。

実は以前にクラプトンはジミー・ウォレス(Jimmy Wallace)から57年製のストラトを購入しており、そのネック、フレット、指板のラディアス、指板のフィニッシュなどの全てをこなしたのがマイケルでした。(クラプトン自身は知らなかったそうです)

そんなこともあって自信満々だったマイケルですが、ネックを何度作っても、クラプトンの承認を得られませんでした。

もちろん希望通りにもらった情報に沿って製作をしましたが、それでも受け入れられませんでした。

度重なる拒絶に激昂したマイケルは、ダンにこう言ったそうです。
“クラプトンは地獄に落ちろ。元々もらってるネックの情報が間違ってるはずだ。そうでなければもうこれでお終いだ。
クラプトンが神かなんか知らないが、とにかくここに来て、直接俺の顔を見て、何が欲しいのか言え!”

(注意:Clapton could go to hell、get his ass over hereという表現でした)

しかし残念ながら、クラプトン自身が訪れることはありませんでした。
代わりにクラプトンのギターテックであるリー・ディクソン(Lee Dickson)がはるばるイギリスから”Blackie”を携えて、カスタムショップを訪れて、マイケルにこう伝えます。
“これが私たちの求めているものだ” (This is what we want)

そして、マイケルはそのネックの完全なレプリカを作り出すことに。
預かっている間、マイケルはブラッキーをベッドの下に入れて、枕元に銃を置いて寝ていたそうです。

ちなみに、ジョージ・ブランダは
“マイケルが作って拒否されたネックの指板エッジがシャープだったことが原因だった。いわゆる”ロールオーバー”されたものがクラプトンの好みで、それは彼にとってはとても重要なことだったのだろう”
と言っています。

ネックの製作が完了した頃に、その他のパーツ類も到着し、マイケル、ジョン、ジョージの3人はボディの作成と最終組み込みに取り掛かります。

~続く~

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