Fenderの退職からその後 ~John Page 4 ~
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1998年にとうとうジョンはフェンダーを辞めることを決意します。
これまでの経緯を見ていくとカスタムショップ設立当時からそれまでにも多々あったようですが、フェンダーの経営陣との衝突が原因でした。
それまでカスタムショップはフェンダーの中でも特別な別施設として存在していましたが、1990年代後半にフェンダーファクトリーの中に移転させるという話が持ち上がり、これにジョンは激しく反発します。
フェンダーカスタムショップは”フェンダーUSA”から独立したものであるべきで、ビルダーたちは自由に製作していくのが一番だと考えていました。
発足当初にあった本当に小さな工房から、ここまでカスタムショップを大きくしてきたのは正にジョン自身であり、そう思うのも当然かとも思えますが、売れようが売れまいが構わないという一面もあったようで、販売面で経営側との衝突は避けられなかったようです。
これが最終的なきっかけとなったようです。
どういった経緯かは明らかではありませんが、退職後にジョンは”Fender Museum of Music and the Arts”の事務局長に就任することになりました。
カリフォルニア州コロナに建てられたこの博物館は3065平方メートルもの大きさで、博物館としての施設としてだけでなく、録音環境などを兼ね備えた子供向けの無料の音楽教育を提供するものともなっていました。
キッズ・ロック・フリープログラムと呼ばれたものは、週に400人もの子供達に無料の音楽レッスンを提供しました。
何か人のためにあること”feel good/do good”に力を注げたことに喜びを感じたそうです。
そして設立と運営に成功した4年後、彼は事務局長を辞めて、オレゴンに移住します。
2003年、オレゴン州南部の森に移り住み、ギターから離れ、数年間は家具作りに専念することに。
ある日、地元の新聞でジョン・ペイジの存在を知った高校生が。学校のプロジェクトでギターを製作するためにジョンに教えを乞いに訪ねてきました。”いいんだけど、パーツも工具もないしなぁ”といいながらも彼の手伝いをします。
このことがまたジョンのギターへの意欲を掻き立てることになりました。
そのすぐ後にカスタムショップを訪ねたジョンでしたが、
“別に彼らのやり方が間違っているわけではないけど、見ていてあまり気持ちがよいものではなかった。ただ自分は初めから最後まで一人で作り上げたい”
と語っています。
そうしてジョンは自分のブランド” John Page Guitars”をついに立ち上げ、現在もその製作活動を続けています。