Gene Baker ~GibsonとFenderを知る男~ 後編
Fender Custom Shopにおける最高機種を作り続けている”Masterbuilt”シリーズ。
一人一人のビルダーについて少しだけ深掘りしてみます。
前編はこちら
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/gene-baker-gibsonfender/
結婚したい女性との出会いをきっかけに安定した仕事を求めたジーンは、生徒からの紹介で高級印刷会社で働くことになります。
24歳になったジーンが仕事にも慣れて落ち着いた生活を送る矢先、1本の電話が鳴ります。
“Gibson West Coast Custom Shop and Service Center”のビルダーであるRoger Giffin (ロジャー・ギフィン)から一緒に働くApprentice(弟子)を探しているから、オーディションを受けてみないかという内容でした。
他にも7人程の候補者がいる中でのオーディションだったようで、それから半年ほど経ったのち、ジーンは晴れてそのポジションを獲得することになります。
そして、ジーンは工房のあるノースハリウッドへと転居。
ジーンはそこで修理、修復、ギブソンの保証作業、ギター製作等、様々な作業を行いました。
Gibsonの提携ではありましたが、そこではマーティン、グレッチ、ギブソン、フェンダー、リッケンバッカーなど、あらゆるブランドのギターのリペアやメンテナンスを行ったそうで、ヴィンテージの知識、歴史、ギターの構造、ハードウェア、フィニッシュ、電装系などありとあらゆることについて学ぶことになりました。
そこでは、パーツの入手や交換などに伴って、Fenderにコンタクトを取ることも多かったそうで、これも後のジーンのフェンダーへの転職に関わったようです。
またGibson Artist Relationとして、ローカルのミュージシャンからツアーしているミュージシャンなどに関わる仕事もしていました。
そこでロジャー・ギフィンと2年近く一緒働き、約30本のギターを製作するに至りました。
ジーンはロジャー・ギフィンを“師であり、私のキャニアで最も大きな影響を与えた人物”と語っています。
West Coast Custom Shop and Service Centerの閉鎖を機に新たな職場として、これまでにも関わってきたフェンダーへ。
1993年6月、カリフォルニア州コロナのカスタムショップの一員となります。
まずは、セットネックチームに配属されたジーンは、バフがけから始めたそうです。
2、3ヶ月の後、1993年にすでに生産決定されていたRobben Fordのシグネチャーモデルの開発と製作がいよいよカスタムショップで始まります。
そしてそれをギブソンでのセットネックギターの製作の経験を持つジーンが担当することになります。
(はっきりと明記されたインタビューや記録はありませんが、タイミング的にもフェンダーは当初からロベン・フォードモデルを担当させるためにジーンを雇ったのではないでしょうか)
元々、”Fender Japan”のモデルをリファインすることになるので、まずは実機からテンプレートを作り、そこからは必要に応じて変化させていく形から始めました。
ロベン本人との密接な打ち合わせを経て、93年10月に初のソリッドタイプの”Elite”モデルのプロトタイプをロベンに渡します。
そこから更にさまざまな木材、チャンバーの有無、異なるハードウェア等を実験的に使用した試作段階のプロトタイプを作成。
ついに94年1月、NAMMショーで、ソリッド/チャンバー/セミホローの3タイプとなるロベン・フォードモデルを発表しました。
その他のモデルは、フェンダー工場の機械や設備を大なり小なり使用していたことに対し、このモデルは完全にハンドメイドで作られていたそうです。
当時ジーンはこのモデルを”Master’s Apprentice-built model”(マスタービルドの弟子モデル)と呼んでいました。
マスタービルトモデルとチームビルトモデルの間に位置しており、各ビルダー達は全ての工程を自分でやるか、組み込みや塗装などは他に任せるかなどの選択が可能だったそうです。
完成後からは、グレッグ・フェスラー(Greg Fessler)を弟子(Apparentice)として指導することになりました。
そして、なんとわずか6ヶ月後、ジーンではなくグレッグが1994年7月にはマスタービルダーになり、ロベンフォードモデルの担当に変わることになります。
ちなみにロベンフォードモデルは、長年ロベン本人とカスタムショップは研究開発はしたものの、元々本人が使っていた日本のフジゲン製のオリジナルモデル”Esprit”に代わる愛用機になるものは、残念ながらカスタムショップでは製作されなかったようで、ロベン・フォードはそのままオリジナルを使用しています。
それからジーンはMaster apprentice (マスタービルトの弟子)として、フレッド・スチュアート(Fred Stuart)とジェイ・ブラック (J.W Black)のもとで働き、ヴィンテージスタイルのテレキャスターやストラトキャスターなどの知識と経験を得ます。
1995年1月、わずか入社から1年半でマスタービルダーに昇格します。
それからのジーンは、最初のコンテンポラリーカーブトップストラトのプロトタイプ、ラージヘッドストラトのリイシュー、Bajo Sextoモデル、Showmasterモデル、John Jorgensonシグネチャーモデル等の作成など多岐に渡ります。
加えて、マイク・ポンス(Mike Ponce)とマイク・バンプ (Mike Bump)の二人の弟子を育てています。
-マイク・ポンスは後のマスタービルダー(1998-2000)となり、のちにSuhr Guitarのスーパーバイザー兼マスタービルダー。
-マイク・バンプも同様にマスタービルダーとなり、後にシニアマスタービルダーとなっています。
1999年、自身のブランド立ち上げのためにフェンダーを離れます。