Gene Baker ~GibsonとFenderを知る男~ 前編
Fender Custom Shopにおける最高機種を作り続けている”Masterbuilt”シリーズ。
一人一人のビルダーについて少しだけ深掘りしてみます。
現在は”b3”という自身のブランドを持つビルダーですが、どのようなフェンダーに在籍する以前、そしてフェンダーではどのような活躍をした人物なのでしょうか?
1966年、ミシガン州デトロイトに生まれる。
11歳でギターを始める。
中学1年生の時に授業の一環として、初のギターを作ることになったジーンはガラクタからパーツを集めてメイプルのSGスタイルボディのギターを製作。
その後、中学~高校の間、クラスのプロジェクトと並行してギターを作る許可をもらっていたそうです。(日本ではあまり考えられませんね)
在学中はホールやハウスパーティーを演奏する地元のバンドで常に演奏活動も続けていました。
1982年、カリフォルニア州サンタマリアに転居。
高校2年生だった彼はここで最初のネック、トラスロッド、指板を製作。
その頃はB.C.RichのMockingbirdのようなラミネート構造の木材でワイルドなシェイプのギターを模造をすることがお気に入りだったそうです。
音楽学校のG.I.Tへの入学に向けて、高校のジャズバンドに入り、ギターレッスンを受けたりして、更に練習に励みます。
無事にG.I.Tへ入学。
1986年にG.I.Tを卒業した後は、学校のルームメイトだったティモシーサンダースと一緒にアラバマ州ハンツビルに引っ越して、ロックスターを夢見てバンド活動を続けます。プライベートレッスンを行いながら、自身の初のブランドとなる”Mean Gene”という名前のもとに少数のギターを製作して地元のショップで販売しました。
1988年、カリフォルニア州サンタマリアに戻ったジーン。
アーニーボールでパートタイムとして働くことになり、サンディングの仕事につくことになります。
約3か月後、仕事が遅すぎるという理由から解雇されてしまいました。
解雇はされたものの、この頃から真剣にギターの製作を学ぶ意欲が湧いていたそうです。
20歳になった彼は、両親のガレージに店を構え、再び”Mean Gene”ブランドネームでギターを作り始め、そこでは修理等も受け付けるようになります。
ちなみにこの時は、Jackson/CharvelのヘビーメタルストラトとランディーVにハマっていたそうです。
Eric Zoellnerというジーン同様にJackson/Charvel好きの友人との協力して、両親のガレージを出て、自身の工房を構えることになります。
そこでは小売販売、レッスン、リハーサルルーム、修理等、数多くの業務を行ったそうで、約30本のカスタムギターも製作しました。
地元のケーブルテレビのコマーシャルなども作って宣伝までしたそうですが、約1年半ほど続いた後、パートナーシップを解消して、廃業することになりました。
その後はギター講師業に力を注いだようで、”Mean Gene’s Insane Lead Guitar”というタイトルの教則本と教則ビデオを作るに至ります。
基本的な理論のレッスン、筆記試験、演奏テスト、フラッシュカード、演習、コードなどを体験できる100ページ程の本と2時間のビデオだったそうです。
この間には3つの地元の楽器店でのレッスン、夜は地元のクラブなどで様々なカバーバンドで演奏などをしながら、また両親のガレージに戻り、ギターの修理も続けていました。
この頃は就職活動もしていて、真剣にギター製作や販売の仕事なども探していたようですが、うまく見つけれられなかったそう。
しかしこの時の就職活動で出会った人物により、のちのジーンの人生に大きな転機が訪れることになります。
~後半へ続く~