ジェームス・タイラー ~手作業へのこだわり~ 2

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1980年代は、ロサンゼルスの音楽とギター業界の最盛期となりました。

人々は自身のギターの”Hot Rod”(改造)に力を入れていきました。

そして、“スーパーストラト”(フェンダーのストラトをベースにしたハムバッカー仕様や24フレット等々を採用したギターの総称)が登場し、それぞれのプレイヤーたちのニーズに合わせた新しいスペックのギターが次々と製作されていきます。

東海岸にはDean Parks、Dann Huff、Michael Landau等がシーンに現れ、L.A.スタジオ・ミュージシャンの正に全盛期が訪れました。

その頃にタイラーは、シェクター(Schecter)とクビッキ(Kubick)からの部品を使用、トムアンダーソン(Tom Anderson)からカスタムのボディやネックを調達してカスタムギターやベースを作り始めます。

ニール・スチューベンハウス(Neil Stubenhaus)は、タイラーのギターやベースを周りのプレーヤー達に広めた最初のスタジオプレーヤーの1人。
(ニール・スチューベンハウスはラリー・カールトンとツアーに回ったり、グラミー賞を獲得した音源のレコーディングにも多数参加、映画のサウンドトラック、コマーシャル音楽なども500本以上参加しているベースプレイヤーです)

この頃から多くのスタジオミュージシャン達がタイラーの顧客となっていきます。

その後、ショップをノース・ハリウッドへ移転し、ハイエンド系のギター、ベース、アンプなどを取り扱うブティック・ブランドのハシリとなるショップとなりました。

ショップには看板やショウ・ウィンドウはなく、外観ではギターショップがあることすら分からないところから、
現在でも使われているタイラーのキャッチコピー“Either you know or you don’t”(知る人ぞ知る)はここから始まります。

マイケル・ランドウ(Michael Landau)とバズ・フェイトン(Buzz Feiten)が同時に初来店したり、マイケル・ジャクソンの“Billie Jean”のリフはデイビッド・ウィリアム(David Williams)がタイラーのギターを使ってレコーディングしたことなどが判明したりと、タイラーの評判は”口コミのみ”で確実に広がっていきました。

それからマイケル・ランドウやバズ・フェイトンに加えて、ディーン・パークス(Dean Parks), ダン・ハフ(Dann Huff)、スティーブ・ワトソン(Steve Watson)、エイブラム・ラボリエル(Abraham Laboriel)等々、名だたるLAスタジオミュージシャン達がどんどんショップに入り浸るようになり、タイラーと彼らは試作品やアイディアを共有し、それぞれの楽器に導入していきました。

そして、ジェイムス・タイラーは名プレイヤー達からの後押しを受けて次なるステップへ。

~続く~

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