~Jeff Beck Stratocaster~ 謙虚なジェフ・ベック
現在のシグネチャーモデルの中でも、ファンのみならずプレイヤー達の間でも定番モデルとなったジェフ・ベックシグネチャー。
どのような経緯で誕生したのでしょうか?
ジェフ・ベックモデルの製作のきっかけとなったのは、ハンク・マーヴィン(Hank Marvin)のフェスタレッドのストラトキャスターが贈呈されることになった1986年のパーティーでした。
ハンク・マーヴィンのストラトキャスターについてはこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/who-is-george-blanda-2/
そこにいたエリック・クラプトンがフェンダーで自分のシグネチャーを作っている件についてジェフに話しており、ジェフにも自身のシグネチャーモデルを作ってみたらどうかと話したそうです。
しかしその時のジェフの反応は非常に意外なもので、
“誰が俺(ジェフ・ベック)のギターなんて欲しいんだ?”
とクラプトンに返していたそうです。
実に謙虚な人ですね。
丁度そこにいたフェンダー社のダン・スミス(Dan Smith)は、
“みんな欲しいに決まってる”となり、とにかく1本作らせてもらえないかとジェフに提案します。
そしてジェフは60年代初期のストラトが好みだったということで、当時の’62 Reissueをベースに作ることにしたそうです。
その時のジェフからのリクエストはたったの二つ。
- ボディカラーはブライトイエロー(自身の持つホットロッド(車)に合わせたい)
- 可能な限りの太いネック
そうしてジョージ・ブランダ(Geroge Blanda)により製作された1本がジェフに贈呈されました。
それは相当気に入ったようで、日本のツアーにそのまま持って行ったそうです。
(ちなみにネックは補正が必要になることを予想していたため、塗装もされていなかったようですが、そのまま使用したそうです。)
その後、正式なプロダクションモデルの発表までには長い年月がかかりました。(どのシグネチャーモデルもとても時間がかかっていますね。。。)
1986年にはプロダクションモデルの原型となるようなスペックのプロトタイプが製作されていましたが、正式な販売は1991年に開始されています。(製作発表は1990年)
カスタムショップのマイケル・スティーブンス(Michael Stevens)とジョン・ページ(John Page)が複数の”ベースボールバットネック”(彼らがそう呼んでいた)のギターを組み上げて、ジェフに送ったりしていたようですが、ジェフからの連絡がパッタリと途絶えてしまったようで、随分と製作に遅れが出ます。
1989年10月、ダン・スミスとジョン・ページの指示の元、J.Wブラックがさらに改訂バージョンのプロトタイプを3本作成します。
1本目は、ジェフのアルバム“Guitar Shop”のジャケットの青いストラトからインスパイアされたもの。
2本目は、レースセンサーピックアップを搭載したブラジリアンローズ指板仕様のパープルカラーのストラト。
これはスティービー・レイ・ヴォーンととも“Guitar Player”の表紙を飾った写真でジェフが手にしているのが確認できます。
3本目は、自身のホット・ロッドのグラフィックが描かれたストラトキャスター。
ジェフは相当のホットロッド愛好家で、フォードから”最も影響力のあるホットロッド75選”に選ばれたり、その手の雑誌に載ることもあるようです。
かくして長い年月を経て(原因は主にただ連絡が取れなかったこと)、プロトタイプにも納得したジェフの許可の降りたシグネチャーモデルは、1991年にプロダクションモデルの仲間入りを果たし、フェンダーシグネチャーモデルの中でも不動の人気を誇るものとなります。
ちなみにジェフは、自身のシグネチャーモデルにもかかわらず、ヘッドに自身の名前が入ることを”拒んだ”そうで、ヘッドのサインは、当時の”Guitar Shop”ポスターに書かれたものをスキャンしたものになってしまったそうです。
どこまでも謙虚なジェフ・ベックなのでした。