John English ~偉大なる名匠~ 前編
そのマスタービルトの職人達の中でも一際高い評価を得ているJohn English。
2007年に亡くなってしまったこともあり、彼の製作した楽器は現在はプレミア価格が付けられ、プレイヤーのみならず、コレクター達の間でも非常に高い人気を誇っています。
今回は意外と知られていないその人物について少し掘り下げてご紹介します。
愛車はハーレーダビッドソン。束ねた長い銀髪と白い髭。
いかにもなフェンダーにピッタリのアメリカンスタイルなルックス。
ブルースが好きで、とくにお気に入りのミュージシャンは、Howlin Wolf (ハウリン・ウルフ)、Freddie King(フレディ・キング) 、Stevie Ray Vaughan(スティーヴィー・レイ・ヴォーン)、Eric Clapton(エリック・クラプトン)。
1950年、カリフォルニア州ロングビーチ生まれ。
1962年にギターではなく、先にドラムを始める。
1965年に家族とヨーロッパへの引っ越しをする際に、アメリカンミュージックを恋しく思ったジョンはギターをヨーロッパに持っていくことに。
ジョンの父は電気機器関連のエンジニアで、その父と自宅のガレージで共に多くの時間を過ごしたそうです。
模型工作が大好きで、飛行機の模型などを作るために木を切断や削ったりすることで、木材の加工法を覚えていったそうです。
そういう環境も下地にあり、1960年代後半(ジョンが10代後半)には自身が所有していたギターの改造をするようになりました。
ヨーロッパからカリフォルニアに戻ったあとはバンドにも入り、音楽活動に精を出したようです。
1970年代前半にはフェンダーに入社。
ストラトキャスターの製作に深く貢献したFreddie Tavares(フレディ・タバレス)やBill Carson(ビル・カーソン)といった伝説的なフェンダー・オリジナル・メンバーと共にフェンダーでの業務に携わります。
フェンダーに入社した後も自宅のガレージで様々なリペアや研究を重ねていきました。
そうしている内にプレイヤー達にフェンダーギターのエキスパートのリペアマンとして周知されるようになりました。
当時、エリック・クラプトンがストラトキャスターに持ち替えた時期で、ハーフトーンに皆が興味を持ち始めた頃。
3ウェイスイッチを途中で止めるのは難しいと思い、スイッチをバラして、先んじて5wayスイッチも開発していたそうです。
その後、フェンダーではサービスセンター担当になり、保証修理や調整の仕事などのユーザー相手の仕事を多くこなしました。
1978年、フェンダーを退社。
その後は、RickenbackerやValley Artsの在籍などを経て、様々なキャリアを積んでいきます。
後編
“Fender Custom Shopへ”に続く