John Suhr ~世界最高峰のハイエンドギターブランド~ その2
前回まではこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/john-suhr/
ニュージャージーの楽器店”Music Box”で働きながら、バンド活動していたサーは、女性との出会いをきっかけにニューヨークへと移住を決意しました。
引っ越し前に働き先として決まっていた家具屋(キャビネットショップ)で、引っ越した後に”いよいよ働くぞ”と店を訪れると、なんとそこで“今は雇えない”というまさかの対応をされてしまったそう。
そこでなぜか、”おまえ、料理は出来るか”と聞かれ、
サーは一応料理は出来るが、店で調理はしたことは無いと答えました。
(彼の父と兄弟はレストラン&ホテル業界で勤めていたそうで、料理を教わるような機会はあったそう)
すると、
“ソーホーにあるCupping Room Cafe”っていう場所でコックとしての仕事なら斡旋できると思うけど、どうする?”
と聞かれ、あての無いサーは、その仕事を受けることに。(引っ越し直後で職のあてもないので、当然ですが。。。)
レストランでの初日は散々だったよう。
驚くことにその店の料理人はサーただ一人。
しかも一番忙しい日曜日の朝に初日を迎えました。
そこに来る客はセレブも多く、その時はなんと女優のメリル・ストリープ (Meryl Streep)もいたそうです。
かなり無茶振りな感じがしますが、料理とは言っても簡単な調理をする程度だったので、なんとか成り立ったようですね。
ちなみにその店は地元でも長く愛された名店になったそうです。(残念ながら現在は閉店)
その後、昼はレストランで料理人(のちにマネージャーまで昇格)、夜はライブというニューヨーク生活を送っていたそうです。
ある日、同じレストランで働いていた同僚が、Rudy’s Music Stopという楽器店で働くことが決まりました。
その頃、Rudyではちょうどリペアマンを探していたこともあり、その元同僚からの紹介でRudyへ行くことになります。
当初は非常に狭いボイラー室でリペアをさせられていたそうですが、サーのリペアは評判が高く、日毎に増える依頼で、ついにはワンフロアいっぱいのリペアスペースが必要になったそうです。
そして、そこは当時”Schecter Custom Shop”でもあり、ストックしているネックやボディでシェクター名義のカスタムオーダーギターを組み上げていました。
そこで組み上げたものの中で、シェクターの名義ではないものは”R Custom”と名付けられ販売されることに。
1984年頃、シェクターが”Schecter Custom Shop”の生産を止めることになり、それに伴いRudy’s Music Stopでの組み上げも終わることに。
シェクターカスタムショップとしての生産は終わったものの、シェクターは木材やパーツ類は販売していたようで、Rudy’s Music Stopでは多数買い上げた無塗装のネックを使用することに決めました。
そのネック達とその頃にシェクターから独立したトム・アンダーソン(Tom Anderson)が作るディンキーシェイプのボディを組み合わせて、”Pensa-Suhr”と名付けて販売していったそうです。
(ちなみにトム・アンダーソンは1977~1984年までシェクターに所属しており、最終的にはR&D部門の最高責任者だったそう)
それらのギターは、スティーブ・スティーブンス(Steve Stevens)やマークノップラー(Mark Knopler)などの、スタジオミュージシャンの間で話題になり、サーの名前は一気に業界でも知られることになりました。
しかしその後、トム・アンダーソンがボディやパーツの販売をやめたことに加えて、Pensaには本格的な木工機械等がないこともあって、ギター製作における様々な部分で自身のコントロールが効かない部分があまりにも多いことに嫌気が差したサーはペンサを離れる決意をします。
~”Rudy’sからCAE”へ続く~