John Suhr ~世界最高峰のハイエンドギターブランド~ その3

前回の”その2″はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/john-suhr-2/

時は少し遡り、サーがRudy’s Music StopでのSchecter Custom ShopやPensa-Suhrのギターを組み上げていた頃。

Rudy’sで働きながらも、まだサーはバンドでの演奏を続けていて、活動においてスイッチングシステムの必要性を強く感じていたそう。

その頃のサーにとってのギターヒーローは、スティーブ・ルカサー(Steve Lukather)やマイケル・ランドウ(Michael Landau)。

とにかく彼らの使用しているような機材が欲しかったそうで、彼らに機材を提供していたボブ・ブラッドショー(Bob Bradshaw)が奨めるアンプや機材周りを購入していきました。

しかし、どんな同じような機材を使ってもルークやランドウのような音にはならず。。。
“もっといい機材が欲しい”
という更なる欲求に駆られたサー。
(自身の腕のせいにはせず、機材のせいだと思ってたんだと回想インタビューでは笑っていました)

そこからは、全ての空き時間を電気工学の勉強とアンプの解体と解析などに費やしたそうです。
そうして自身の手でモディファイしたアンプヘッドを次々に製作し、自身で使用するとともに、それらをカリフォルニアのボブ・ブラッドショーに評価などしてもらうために送ることにしました。

ボブがアンプをルカサーやランドーに紹介すると、なんと非常に高い評価を得ることになりました。

そこで、ボブはサーを”Custom Audio Electronics”にこないかと誘うことにしたそうです。

結婚したばかりのサーは、ちょうどPENSAでの仕事に不満を抱いていたこともあり、これをいい機会として、CAEのあるカルフォルニアへの移住を決意しました。

そこでの活動は、ルカサーやランドーが使用した”名機”と名高いプリアンプ”3+”、”OD-100″アンプヘッドの開発、様々なアンプのモディファイ、ラックの製作など、実に多岐に渡りました。

ここでの最高のギタープレイヤーたちとの出会いにより、サーはギタープレイヤーではなく完全なデザイナーになる決意をすることになったそうです。
(本人のインタビュー内でも、あえて”ルシアー”や”ビルダー”という言葉は使われておらず、デザイナーと言っています。これは彼のポリシーとつながっています)

カリフォルニアに移ってから3年ほど経った頃、ラックやプリアンプの生産の絶頂期がやや過ぎてから、少しずつギターのリペアや製作に取り組み始めた頃。
子供授かっていたサーは、家族のためにもより安定した仕事の必要性を感じていました。

そこで、ニューヨーク時代からの知り合いであったJ.W.Blackを通じて、フェンダーカスタムショップのジョン・ペイジ(John Page)にコンタクトを取ります。 
(ジョン・ペイジともニューヨーク時代から面識はあったそうです)

ちょうどハイエンドギターの強いニーズを感じていたフェンダー社は、サーを迎えることに。

~フェンダー入社へ続く~

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