Larry Dimarzio ~リプレイスメント・ピックアップを生み出した男~ 12
前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/larry-dimarzio-11/
1971年の春、ラリーはリッチモンド大学でダンスの公演のための音響システムのセットアップを手伝っていました。
そんな折、学部長から学校の卒業パーティーで演奏しないかと誘われることに。
しかしラリーはその時バンドには属しておらず、、、
そこで思いついたのが
バンド“Rainbow”(すぐに”Wicked Lester”に改名されますが)を紹介すること。
そのバンドはGene Simmmons(ジーン・シモンズ)、Paul Stanley(ポール・スタンレー)、Brooke Ostrander(ブルック・オストランダー)が結成した新しいバンドでした。

実は数ヶ月前にジーンから電話があり、”一緒にバンドをやらないか?”とまた誘われていましたが、以前の誘いの時と同じようにラリーはトップ40バンド(売れている曲をクラブなどでやる商業的コピーバンドをやりたかったので断っていました。
卒業パーティーでの演奏を提案すると、ジーンはそれを快諾。
それが”Rainbow”としての初めてのライブとなったそうです。
そこから”Rainbow” → “Wicked Lester” → “Kiss”と繋がっていきます。
ラリーはその後、地元のシカゴスタイルのバンド “Odyssey”(オデッセイ)と活動を始めました。
これでようやく十分な収入が得られるようになり、ついにレスポールを買う余裕ができました。
ラリーは知り合いが安く販売していた70年代初頭のレスポール・デラックスを購入。
ミニハムからのフルサイズハムという当時よく見られたモディファイが施された1本でした。
その1本は、何を思ったのか、エスカッションマウントではなく、ダイレクトマウントにするためにボディ裏からネジを取り付けていたそうです。
ラリーはそのレスポールの再構築とハムバッカーの研究を始めました。
ストラトピックアップの成功から学んだことを利用して、アンプのサステインと歪みを自然かつ長く維持するために必要なトーンと高出力を実現するハムバッカーを目指します。
そして大事だったことはサイズ的にギブソンと簡単に交換が可能なことで、必要に応じて元のピックアップにいつでも戻すことが出来る必要があると考えていました。
それはビル・ローレンスや他の工房とは違ったアプローチ。
ビル・ローレンスのステンレスピックアップはフルサイズハムのリプレイスメントでもなく、1サイズのみでした。
自伝ではビル・ローレンスのピックアップに関しては下記のように酷評しています。
“ビルのピックアップデザインには間違いがある。見た目が悪いこと、そして調整出来ないということ。とてもギターに取り付けらるパーツの一つとは思えない。
彼はセラミック・マグネットに全ての仕事を任せてしまって、デザインに関して妥協している。
ボールピースのサイズを小さくしたことで、チョーキングした時のサステインは短くなってしまっている。
またコイルとコイルの間に磁石を配置するためにスペースを広げてしまいました。
ピックアップの厚みを抑えることで、フルアコのフロントにも使用できるようにしましたが、それもローエンドのサウンドが変わってしまって、やはりあまり良くない結果になっていた。”

上記写真はビルローレンスの制作していたピックアップカバー。
~続く~