Larry Dimarzio ~リプレイスメント・ピックアップを生み出した男~ 2
前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/larry-dimarzio-1/
大学在学時の夏休みの間は、建設現場で仕事をして、学費や生活費を稼いでいました。(アメリカの夏休みは3ヶ月以上ある)
ニューヨークはプロモーターのBill Graham(ビル・グラハム)による数多のライブやイベントで溢れていました。
そんなシーンの影響をもろに受けたラリーは、1970年の秋学期に電子工学専攻をやめ、音楽を専攻、副専攻として映画を専攻することに変えました。
その冬には、リッチモンド大学からわずか 2 ブロックのところに住んでいるガールフレンドのもとに引っ越しました。
それまでかけていた片道2時間程度の長い通学時間をギターの練習に費やすことが出来て、嬉しかったそうです。
その頃、ラリーの目標は音楽を演奏して生計を立てることだったこともあり、いくつかのバンドでの仕事をしていましたが、仕事は決して安定しませんでした。
バックアッププランは音楽教師としての仕事に就くことで、自身のバンドに所属していたキーボードプレイヤーが教えていた小中学校での音楽の授業の手伝いをしました。
大学では、Gene Simmons(のちのKISSのジーン・シモンズ)と出会います。
ジーンはラリーのライブをよく見に来たりして、友人となりました。
二人は同じくらいの時間に授業が終わったので、よく一緒に地下鉄に乗って帰宅していました。
ラリー曰く、ジーンは非常に明るく楽しい人物で、二人は音楽、ギター、女性の話などを沢山したそうです。
ある時には一緒にバンドを組む計画まで盛り上がったそうで、Stan Eisen(のちのKISSのPaul Stanley)をそのタイミングでラリーに紹介されています。
一度皆で演奏したことがあったそうですが、彼らはオリジナルをやるバンドがやりたいのに対して、ラリーはトップ40バンド(売れている曲をクラブなどでやる商業的コピーバンド)をやりたいこともあり、実現はしませんでした。
ジーンは自分はロックスターになると宣言しており、ラリーもそれを信じれるほど特別何かを持った人物だったと評しています。
またブルックリン・テクニカル・ハイスクール時代の友達であるTom Morrongiello(のちのボブ・ディランのギターテック)とも再会して交流するようになりました。
その頃、ラリーが所有していたギターは、60年代製のGibson Barney Kesselモデル(なんとジャズギター)でしたが、友人からボロボロのストラトキャスターを譲り受けることに。
センターピックアップは故障、ローズ指板はえぐれ、ボディは白いスプレーがかけられているようなとても演奏に耐えないひどい状態の1本でした。
ブルックリン・テック出身のラリーはそれを自身の手でリペア&改造することに決めました。
センターピックアップにはどこかで拾ってきたギブソンのハムバッカーを搭載。
そしてBOSSのディストーションユニットを内蔵(MAX設定)、またモノとステレオ出力切り替えも出来るように改造が施されました。
ブリッジはテレキャスターのパーツを使って作り直し、フィニッシュを剥ぎ取り、クライロンラッカー(アメリカではメジャーな車用のラッカースプレー)で塗装し直しました。
こうして大きくモディファイされたストラトが完成しました。
~続く~