Mark Kendrick ~アーティスト専任ビルダー~
Fender Custom Shopにおける最高機種を作り続けている”Masterbuilt”シリーズ。
一人一人のビルダーについて少しだけ深掘りしてみます。
カスタムショップ内におけるアーティスト専任マスタービルダー/アーティストリレーションとして、キースリチャーズ、リッチー・サンボラ、スティングなど名だたるプレイヤー達のためにギターを制作したことでも有名なマーク・ケンドリック氏ですが、どのような経歴の持ち主だったのでしょう。
1958年5月26日、カリフォルニア サンディエゴ生まれ。
1950年代にレオ・フェンダーのもとで働いていた叔父に続いて二代に渡り、フェンダーと深い関わりを持つことになりました。
実は、叔父もマーク同様に当時のアーティストリレーションを務めていたそうです。
幼少期、親族の多くがプロミュージシャンという環境にいたマークはその影響でギターを弾いて育つことに。
1970年代、就労可能になる年齢になった頃に、かつてフェンダーの副社長を務めていたフォレスト・ホワイトに誘われて、当時レオ・フェンダーが新しく立ち上げたMusic Manに入社することになりました。
ここでは工場生産のラインの一員として働くことになります。
その後、今度もレオの立ち上げた新会社のG&L社へ移ることになりますが、ここでもやはりラインの一員。
この二社では様々な工程に関わったようですが、あくまで工場員として働いていたようです。
ここでやはり本格的なギター作りをしたいと考えたのか、その後、リッケンバッカーに在籍していたデイル・フォーチュンに弟子入りして、ギター作りのノウハウを学ぶことになりました。
その頃、デイル・フォーチュンの所にはレオ・フェンダー(Leo Fender)、ジョージ・フラートン(George Fullerton)、ビル・シュルツ(Bill Schultz)なども出入りして、ギターを見に来たりしていたそうです。
そして、1991年ついにフェンダー社に入社。
入社後、1年間は塗装の仕事をしており、スティーヴィー・レイ・ヴォーンモデルの塗装を1日に130台くらいこなしていたそうです。
この時点ではやはりまだラインの一員にとどまっていたようですが、ジョン・ペイジにカスタムショップに入りたいと希望を伝えたところ、それが受理されて、1992年にようやくカスタムショップに。(おそらく面接や技術を見せる試験のようなものはあったかと)
その後は、ビルダーとしての地位を確立し、カスタムショップ内におけるアーティスト専任マスタービルダー/アーティストリレーションを歴任することになります。
マークは“信頼関係を作ることが一番難しい”と語っていたそうで、契約が決まると同時にマークはアーティストの好みを探る作業に移り、そのアーティストのためにありとあらゆるサポートをしたそうです。
対アーティストなので、おそらく難しい要求や意図不明なことなど色んな事があったかと思います。
マーク氏はおそらく我慢強く、コミュニケーション能力の高い人物ではないかと推察されるのではないでしょうか?
(ある一つの質問をアーティストにするために何時間も待つなんてこともあったそうです。)
2009年にはQuality Advisor and instructor at the Fender manufacturing facility in Ensenada, Mexicoという役職に就くことになり、フェンダーのメキシコ工場の技術向上と発展に努めたそうです。
2016年に退社。
その後は自身のブランドを立ち上げています。