Mike Eldred マイク・エルドレッド ~フェンダーカスタムショップの改革とジョン・ペイジからの移行~ 10

前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/mike-eldred-9/

前回説明した通り、カスタムショップにはコンピューターがありませんでした。

そこでマイクは自身の家からマックを持ってくることに。(会社からの支給がないのが信じられません、、、)

この持ち込んだコンピューターで行ったことは多岐に渡りますが、一例を挙げるとピックアップの管理。

マイクは、アヴィゲイル・イバラ女史とJ.W Black氏の多大な協力のもとに全てのピックアップの詳細を調べて、スプレッドシートにまとめました。

そして、それらをFILE MAKER PRO(ファイル・メーカー・プロ)でまとめあげて、ピックアップ名、ターン数、ワイヤーの種類、マグネットの種類など、ピックアップに関する全てのことで索引と管理できるようにしました。

これはほんの一例ですが、あらゆる作業にこういった管理が入ることで、時短と製品の一貫性を高めることに成功しました。

また様々なことで衝突していた印象のある前任のジョン・ペイジとマイクでしたが、二人にも大いに合意していた点もありました。

それは
“ボディとネックの製造に関してショップは工場からもっと独立すべき”
ということでした。

マイクがカスタムショップに来た頃、ボディやネックの制作のほとんどをレギュラーラインに頼んでいました。(中にはマスタービルダーが自身の手で制作しているものもありましたが)

レギュラーラインでサイズやシェイプ等を指定して発注するものの、必ずしもオーダー通りに完璧に仕上がったものがあがってくるわけではなかったようです。

そこで、1990年代後半にしてようやくCNCルーター(コンピューターによる数値制御された工具)を導入。

ヴィンテージギターを保有していたマーク・ケンドリック氏や岩撫安彦氏らの協力を得て、オリジナルの個体を持ち込んでもらい、これに基づいてボディシェイプのテンプレートを制作しました。

ここまでマイクにより行われた改善や変化は、フェンダー工場移転以前から移転後にまたがった形で行われており、マイクはジョンに相談と提案をしつつ、変更等が決定されていきました。

そして、ジョン・ペイジは、その頃設立されるフェンダー・ミュージアムにもっと興味を持つようになり、新工場への移転と同時期となる1998年11月にカスタムショップを去ることになりました。

こうしてマイクをマネージャーとするカスタムショップに完全に移行していくことになります。

スーパーバイザーを引き継いだ時の心境をマイクは下記のように語っています。

『正直に言うとスーパーバイザーにはなりたくなかった。
“その人物”(言いたくないことを言わなければいけない人物)にはなりたくなかった。
ただ仕事に行って、何かの役に立つような手助けをしたいだけで、ボスになんてなりたくなかった。
今(2000年代のインタビュー当時)だってなりたいとも思わない。でも本当に他にやれるやつがいなかった。
そしてフェンダーにはそういう人物が必要だった。』

フェンダーを退職した後のインタビューでも何度も繰り返し同じことを言っているところを見ると、本当に嫌だったようですね。。。

ちなみにアーティストとして活動している現在は、フェンダーカスタムショップ時代の話を聞かれるのはもう飽き飽きしているという受け答え方もしています。

~続く~

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