Mike Eldred マイク・エルドレッド ~フェンダーカスタムショップの改革とジョン・ペイジからの移行~ 4
前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/mike-eldred3/
シャーベル・ジャクソンを離れた後、マイクは一時の間、LAのロングビーチのバイオリン修理店で働きます。
その後、ヤマハに入社。
8~9年間程度、Guitar Product Manager and Guitar & Bass Artist Relations Managerとして品質管理、マーケティング、アーティスト・リレーションのマネージャーなどの多岐に渡る業務をしていたそうです。
ヤマハでの業務と並行してバンド活動は続けていました。
その頃組んでいたバンド”the Blue Diamonds”のライブレコーディングのテープが、ストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーのギターテックに渡ります。
それがストレイ・キャッツのベーシストのリー・ロッカーの目に止まります。
ストレイ・キャッツはその当時解散寸前だったようで、リー・ロッカーは自身の名義&プロデュースするブルースアルバムの製作を考えていました。
そこで声がかかったのが、マイクでした。
1992年の後半、ストレイ・キャッツの活動休止期間中にリー・ロッカーはマイクをメンバーに加えたバンド”Big Blue”を結成。
公式デビューは1992年の大晦日で、クラブでのパフォーマンスで大成功を納め、その数ヶ月後にはポール・ロジャースのツアーに同行します。
それから計3枚のCDをリリース。
1枚目 “Lee Rocker’s Big Blue”
2枚目 “Atomic Boogie Hour”
3枚目 “No Cats”
1枚目のアルバムは、メンフィスでレコーディングされていますが、そこにはゲストミュージシャンとしてなんとエルヴィス・プレスリーのギタリストとしても知られるScotty Moore(スコッティ・ムーア)が2曲参加しています。
25年もの間、半引退状態だったスコッティーにマイクが出会うのはきっかけが訪れたのは、バンドがCDのレコーディングに入る1年程度前の1993年。
マイクは友人伝いで、スコッティ・ムーアの元で働いていたエンジニアGail Pollockからスコッティ・ムーア本人の電話番号を手に入れます。(そのエンジニアの女性はスコッティと非常に仲の良い友人でもあったそうです)
幼い頃に憧れたスコッティ・ムーアといきなり直接話せるとは思っていなかったマイクは、FAXするための手紙を用意しました。
FAXのつもりで電話したところ、なんとスコッティ・ムーア本人が応答しましたが、まさかの出来事であまりに緊張したマイクはそのまま話さずにFAX送信のボタンを押してしまったそうです。
このFAXにスコッティがまさかの返信。
話はとんとん拍子で進み、レコーディングのためにメンフィスに訪れることが決まりました。
スコッティは一目でマイクを気に入ったそうです。(友人談ですが、スコッティは人を一目で気に入るようなことはほとんど無い人物だそうです)
その後、ジャズギタリストのMartin Taylor(マーティン・テイラー)が好きだったスコッティに、ヤマハでマーティン・テイラーとコラボして作った”AEX 1500″モデルをスコッティにプレゼントしています。
そうしてマイクとスコッティの仲は、長きに渡り続きます。
~続く~