Mike Eldred マイク・エルドレッド ~フェンダーカスタムショップの改革とジョン・ペイジからの移行~ 9

前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/mike-eldred-8/

マイクがスーパーバイザーとなった時に一番ショックを受けたこと。

それはなんと
“カスタムショップ製品の管理書類やデータベースが存在していない”
ということでした。

代わりにあったのは、紙切れの走り書きやビルダー個人の手書きの書類のみ。(中には非常に簡略化されたドキュメント程度のものもありましたが、ほとんどの部分は大まかなものだけでした)

前任のジョン・ペイジは、とにかく完成までのスピード感を重視していたため、図面の作成やプロトタイプの制作をほとんどしませんでした。

流行が過ぎる前に作ることが大事であるという考えの元に、プロジェクトの迅速な遂行に誇りを持っていたため、上記のような状況になりました。

マイクが以前の記録にある納期に間に合わなかったギターの原因を探ってみると、

“配線方法を知っているスタッフがただ一人だけしかおらず、その彼が病欠だったため”

という理由が判明するというような非常にずさんな管理状況でした。(もちろん配線図があれば簡単に解決していた)

初期の頃のように月に数本のギターを出荷していた時は、それでもうまくいったかもしれませんが、50人以上の人員で1日に20~30本のギターを作ろうとしている時には、とてもこれでは回りません。

そして文書とともに在庫(パーツ等)の管理も非常に大きな問題でした。

1990年代後半にも関わらず、なんとカスタムショップには管理用のコンピューターが1台もなく、フェンダーのメインフレームにもすらアクセスも出来ませんでした。

すべてをきれいな文書化し、すべてにパーツ類に番号を割り当てるという膨大な作業をしなければなりませんでした。

また塗料の管理も問題でした。

マイクが塗料についてスタッフに聞くと、

“ソニックブルーの缶にダフネブルーの塗料が入っていることもあるし、その逆もある”
というような非常にカオス的状況。

この頃のスタッフの多くは、ヴィンテージに対する高い意識をもったことがないのも原因の一つでした。

塗料はSpartan(スパルタン)という工場で制作されていたものをフェンダーでは使用していました。

マイクはスパルタンを直接尋ねてみましたが、あまりにも時代遅れな様子に驚きを隠せなかったそうです。

50年代そのままの様相でそれまで続けられているような場所で、倒産寸前といった状態でした。

そんな場所ということもあって生産性は低く、全ての塗料をその工場からだけで購入するのは難しかったため、この塗料はSpartan、あの塗料は別会社、ラッカーはこの会社という風に塗料はバラバラの会社から集められたものとなっていました。

そんな状況だったことから、ある時には元々キャンディーアップルレッドで仕上げる予定のギターが完全に別カラーになってしまったことも。

この会社の下地&あの会社の赤&この会社のクリアコートなどと組み合わせた結果でした。

苦肉の策として、結局それらのギターはリミテッドランと称して販売していたそうです。(本来であればただの失敗作)

上記のような状況を打破するため、マイクは塗料の購入先を一社のみに絞ることを提案しました。

そこで、マイクはフェンダーのオリジナルカラーコードをデュポン社から入手しました。

カラーを作るための比率や配合などが示すカラーコードを元にヴィンテージ同様のカラーチャートの塗料を制作します。

Spartan(スパルタン)とLawrence-McFadden(ローレンス・マクファーデン)の2社へと送り、どちらの会社がより正確にカラーを再現できるかを試しました。

結果は、ローレンス・マクファーデンの圧勝。(マイクはこの会社の精度を大絶賛しています)

これによりペイント、ウレタン、ラッカーなど全ての塗料がこの会社から供給されることになり、塗装やカラーリングの精度は格段に上がることになりました。

~続く~

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