Mike Eldred マイク・エルドレッド ~フェンダーカスタムショップの改革とジョン・ペイジからの移行~ 3

——Charvel/Jackson期 2———–

前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/mike-eldred-1/

グローバーの元に集まった多くの若者たちですが、誰もギター製作について元々知っているものはいませんでした。

Todd Krause(トッド・クラウズ)やStephen Stern(ステファン・スターン)などなど、のちにフェンダー傘下で腕をふるうことになる面々が入ってきたのもこの頃。

かつての従業員たちは、その頃のグローバーはまるでの皆の父のようだったと語っており、従業員たちはギターの作り方を切磋琢磨してしっかりと学んだそうです。

グローバーはかなり厳しく教えていたようですが、グローバー自身が一番自分に厳しくかつ情熱的に仕事に打ち込んでいたようで、誰もがその背中を見て育っていきました。

当時の工房には著名なギターリストたちが毎週のように訪れていたそうです。

エドワード・ヴァン・ヘイレン、ゲイリー・ムーア、 ランディ・ローズ、ジェフ・ベック、アラン・ホールズワースといった数々の著名アーティストたち。

マイクの記憶によく残っているうちの一人はゲイリー・ムーア。

ある時彼がやって来て、”木材を見てもいい?とにかく重いギターが欲しいんだ。”といって、木材置き場に皆で行き、マイクが引き抜いた木材をゲイリーに渡して吟味という作業を繰り返しました。
ゲイリーはほこりまみれになりながら、ギター製作のプロセスの一つを大いに楽しんでいたそうです。

フェンダー在籍時のインタビューでマイクは
“グローバーがいなければ、フェンダーで現在の総合マネージャー的なポジションに就けることはなかった。 
どのようにギターを作り、どのように売るか、全てのことをグローバーから学んだ。”
と語っています。

マイクは出来上がりの良いギターを持っては、グローバーのオフィスに行き、

“このギターを弾いてくれよ”
と言って、長い時間をかけて二人でオフィスに座ってギターを弾いたり、話し合ったりしていたそうです。

たまにグローバーは
“このギターを売りたくないなぁ、、、俺がキープするよ!”

なんて言い出し、それに対してマイクが、

“おいおい、それは誰かがオーダーして作ったやつだぞ!”
などと言って笑っていたそうです。

そんな二人はそれからずっと交友関係を保っており、マイクは今でも毎年のThanks Giving(アメリカの祝日)にはグローバーを必ず招いているそうです。

マイクは、1983年にシャーベルを一時離れますが、1985年にまた復職。

1985年、グローバーはテキサスを本拠地に置く卸売業者インターナショナル・ミュージック・コーポレーションと提携します。

新しい契約の一環として、Charvelブランドは日本製になり、Jacksonブランドは米国製ブランドとして残ることになりました。

そうして変化したシャーベル/ジャクソンをマイクはあまり好まなかったようです。

復帰からわずか2年未満となる1987年に退職します。

~続く~

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