Mike Eldred マイク・エルドレッド ~フェンダーカスタムショップの改革とジョン・ペイジからの移行~ 6

前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/mike-eldred-5/

フェンダーカスタムショップの通常のスタッフとして時給8ドルほどでフェンダーカスタムショップで仕事を始めたマイク。

加入後の大きな出来事として、フェンダー工場の移転がありました。

165,000平方フィート(15,330平方メートル)という恐ろしく広大な土地に建てられた新工場。

それまで独立した場所にあったカスタムショップは、新工場の中にレギュラーラインの生産ラインと一緒に併設されることになり、カスタムショップの敷地面積が大幅に小さくなりました。

フェンダー”社”の考えるメリットはひとえに効率化。

これに対して、当時のカスタムショップの一部のスタッフたちは、工場をレギュラーラインと共有することで、カスタムショップの独占性やビルダー達の独立性が損なわれるのではないかと考えました。

当時のマネージャーのジョン・ペイジは、ビルダー達の独自性や創造性を最優先事項としていました。

ビルダー達が仲間意識を育み、可能な限り最高のクオリティのギターを作りることで、メディアや世間から肯定的な注目を集めることができるようにする”宣伝効果”こそが大切であると信じており、そのためにはカスタムショップがレギュラーラインとは別のものとして運営されることが必要だと考えていました。

そのためジョンはビルダー達に信じられないほどの自由を与えており、

“創造力を思う存分発揮して仕事を楽しんでくれ。
それを世に出して、カスタムショップの力を見せつけよう。”

という考えの元に、ビルダー達はただひたすらにギターを製作するのみで、販売や経営のことに関して無頓着な状態になりました。

そうして斬新なギターや芸術的なギターを作らせることで、”アーティスト”となったビルダー達から”製品を販売している”という現実を忘れさせてしまいました。

次々と舞い込むバックオーダーに追いつくことができなくなっていたカスタムショップ。

製作されていくギターは素晴らしい出来のものばかりですが、1本を製作するのに非常に時間がかかるため非効率なものが多く、製作はどんどんと遅れ、納期に間に合うか間に合わないかの日々が続きました。

カスタムショップは、当初の意図をはるかに超えて大きなものとなっていき、1990年代後半までにはカスタムショップだけで競合他社となる一部の企業全体よりも高い年間売上高を達成していました。

カスタムショップの規模と売り上げの高さにもかかわらず、効率が悪いため、スタッフには給料をギリギリ支払っているような自転車操業になっていたそうです。

そこでカスタムショップには”効率化”と”生産の安定性”などが必要になり、そのための大きな変化を必要としていました。

~続く~

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