Paul Reed Smith ~ポール・リード・スミスについて~ その1
現在、GibsonとFenderに続くブランドとして確固たる地位を築いたPaul Reed Smith。
その人物やブランドの歴史について深掘りしていきます。
1956年2月18日、メリーランド州ベセスダに生まれる。
3人の兄弟と1人の姉妹とともに育つ。
父は若い頃、ビッグバンドのリーダーをしていたが、数学者になるために諦めたそう。
母はギターで弾き語りをしている人物ということもあり、二人は音楽を楽しむようにポールを育てます。
ポールが4歳の頃にウクレレを買い与えています。
高校時代には、Rock’n Rollとエレキギターにはまって、ベースやギター(主にベース)をたくさんのバンドで弾いていたそうです。
ちなみにギターはMelody Makerを使用していました。
1972年、16歳の頃に高校の授業の一環で、ギターの製作に興味を持ち始め、初のベースを作成します。
(授業の一環でギターを製作したことを一つのきっかけとしているアメリカのビルダーは多いようですね)
日本製のヘフナーバイオリンベースのコピーモデルのネックを外して、そのネックに合わせた新しいボディを作ったそうです。
その時作られたボディは、“Dyslexic Strat”(失読症のストラト)と本人は敬称しており、かなり変わった形のストラトキャスタースタイルのベースでした。
センターにラインが入った3ピースマホガニーボディ、手作りの木製ブリッジと金属製のシンプルなテールピース(裏通し)、ピックアップは元のヘフナーから移植したもので、コンターボディのシェイプは1弦側のホーンが長いレフトハンドのストラトのような形ですが、ボディエッジは面取りはされていますが、いびつな形をしています。
ネックもそのままではなく、ヘッドシェイプをどちらかというとギブソンに近い左右対称タイプに変え、ロッドカバーも変更しています。
その後、高校在学中に友人の所有していたレスポールジュニアを修理したポールは、それを”Washington Music Center”に見せることで、リペアマンとしての仕事を得ることになりました。
そして高校卒業までショップでの仕事を1年弱続けました。
その後、ポールはSt Mary’s Collegeに数学専攻で入学します。
~続く~