Paul Reed Smith ~ポール・リード・スミスについて~ その3
前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/paul-reed-smith-ポール・リード・スミスについて-その2/
1975年、地元リペア界の”最後の砦”となっていたポールに、ここで1本の電話が入ります。
それはテレマスターDanny Gatton(ダニー・ガットン)の利用していたリペアショップからの依頼で、エアロスミスのJoe Perry(ジョー・ペリー)の使用していたダブルカットのジュニアのヘッド折れリペアでした。
そのショップでは修理出来ないと判断されて、ポールに回ってきたということからも当時のポールのリペア技術は相当なものだったのではないでしょうか?
そして、ポールはその年のThanksgiving (アメリカの休日)はそのリペアに費やしたそうです。
(リペア結果がどうだったかは後述されていないため不明)
同じ年の暮れ、ポールは大学を中退し、実家を出て、Annapolis(メリーランド州アナポリス)へと転居します。
そこで借りた一室で、小さなギターショップを始めます。
オープンして早速、以前から交流のあったTed Mugent(テッド・ニュージェント)からのリクエストでギブソンハードウェアを組み込んだソリッドボディの”Byrdland”の製作に取り組みます。
その時、ポールはテッドに
“もし気に入らなければ、お金は返す”
という驚きの提案をしていたそうです。(すごい自信ですね)
1976年1月にギターは完成。
元々バードランドというリクエストでしたが、実際のギターには”Large Body Les Paul”と表記されており、ボディ自体はバードランドよりや小ぶりでレスポール程度の厚みのソリッドギターとなっています。
そのギターをテッド・ニュージェントは気に入り、近年まで所有していたようですが、2014年にオークションで20,000ドルで落札されています。
テッド・ニュージェントとの関係はその後も長く続き、プロダクション化された最初のカタログにも登場しています。
~続く~