Paul Reed Smith ~ポール・リード・スミスについて~ その2
前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/paul-reed-smith-ポール・リード・スミスについて-その1/
高校を卒業したポールはSt Mary’s Collegeに数学専攻で入学した。
本人は、そこからの18ヶ月を”eighteen month of agony”(18ヶ月の苦しみ)と称しており、非常につらい時間を過ごしたように振り返っています。
そんな在学中にも、ギター製作への情熱が収まらなかったポールは、芸術科の建物の地下でギターを作成します。
リペアマンとしての経験が1年間ほどあるとはいえ、初めて作ったギター(前回はベース)とは思えないような非常に完成度の高い1本で、教師からも高い評価を得たそうです。
ギブソンのレスポール・スペシャルのコピーモデルで、ボディシェイプやヘッドストックのシェイプも綺麗に仕上げられており、ネックもセットネックとなっています。
ボディとネックにマホガニー、指板にはブラジリアンローズウッド、ピックアップにはドッグイヤー/メタルカバーのP-90を2基搭載、バダスブリッジ、ポジションマークにはMartinのようなダイヤモンドインレイが採用されています。
そしてなおギター製作への熱は治まらず、家族の力も借りて、自宅の2階全てを製作所へと改造していったそうです。
(窓に換気扇を設置してスプレーブースまで作ったよう)
そこでいくつかのシングルカットやダブルカットのギターを作ります。(MountainのLeslie Westのファンだったとのこと)
ポールにより製作された第2本目のギターは、ギブソンのレスポール・ジュニアのダブルカットのコピーモデル。
こちらも非常に完成度の高い仕上がりで、ピックアップやブリッジなどの基本スペックは1本目同様となっています。
指板の最終フレット部分にシリアルナンバー”2”が打刻されています。
このギターは、ギターリストのTed Mugent(テッド・ニュージェント)とのバンド仲間として当時知られてたDerek St. Holmes (デレク・セント・ホルムズ)に売却となったそうです。
自宅の作業場で技術を磨いたポールは、地元ミュージシャンたちの間では、誰にも直せなかったギターを直すリペアの”最後の砦”として、高い評価を得ていきました。
1975年、まだ数学専攻として在学中だったポールでしたが、ここで1本の電話が来ます。
~続く~