Paul Reed Smith ~ポール・リード・スミスについて~ その22
前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/paul-reed-smith-ポール・リード・スミスについて-その21/
多くのオリジナルパーツやスペックを有したPRSは、NAMMで多くのオーダーを獲得することに成功します。
オーダーを受けたその後の安定した生産体制を整えるために、1985年4月にポール達はこれまでの小さな工房から新しい大きな工房へと移ることにしました。
多くのギターブランドやインディペンデントルシアー達はパーツ類を他社から購入して組み上げるような形式を取っていた中、ピックアップやブリッジなど多くの主要パーツを自社で製作する点においてもPRSは他のブランドから一線を画しており、そのためにも工房というよりももはや工場とも言えるような大きな場所に移転することは必須だったようです。
新しい工房は以前から住んでいるメリーランドのアナポリス内で、そう遠くない場所でした。
ポールとイングラムは、Summer NAMMのための20本も製作しつつも、新たな機械の導入や生産ラインの構築のために4ヶ月ほどを費やしたようです。
そして1985年8月には、記念すべき初のシリアルナンバー付きのギターが生産ラインから完成します。
その頃には18名ものスタッフがPRSの元で働いていました。
同年10月半ばにはシリアルナンバー#100のギターが製作されました。
そこから生産速度を上げることに成功し、1986年6月27日には1,000本目の製作を達成します。
その時には”The Night of the 1,000 Guitar Party”としてスタッフ一同で盛大に祝ったそうです。
PRS Guitarsにさらに勢いを与えるきっかけとなる出来事が起こったのも、ちょうどその頃でした。
~続く~