Paul Reed Smith ~ポール・リード・スミスについて~ その6
前回はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/paul-reed-smith-ポール・リード・スミスについて-その5/
地元のクラフトマンのSteve Hildebrandとパートナーシップを組み、大学時代に知り合ったBonni Lloydをアシスタントとして迎えたポール。
クラフトマンのスティーブとは、わずか1年程度で袂を別つことになりました。
その頃、ポールはとにかくリペアの仕事に明け暮れていました。
自分達の昼食代にするために代金を得るために、セットアップに訪れる客を待っているような日があるほどに、金銭面が苦しかったそうです。
そんな中でしたが、1978年にはロイ・ブッキャナン(Roy Buchanan)のための1本を製作。
ロイ・ブッキャナンの妻であるジュディがロイにプレゼントするためにオーダーしたもので、ヘッドには”JUDY”の文字の大きなインレイが入れられていました。
ダブルカット/マホガニー/ナチュラルフィニッシュ/アーチトップ/バードインレイが採用されたピーター・フランプトン機と同様の基本スペックで、ヘッド裏には“Hand-made by Paul Reed Smith for Roy Buchanan march ’78″と書き込まれました。
その頃のポールの顧客は著名人やプロフェッショナルだけではなく、もちろんアマチュアプレイヤーたちもいました。
アマチュアプレイヤーの中の一人、ジョン・マン(John Mann)は1978年の末頃に、使い込んだボロボロのGibson SGを直してもらうためにポールの元を訪ねました。
リペアから上がってきたSGを見たジョンは
“まるでギブソンから出荷された直後のような状態になった”
とその完璧な仕上がりを絶賛し、その後ジョンはポールの支援者の一人となります。
アメリカ海軍のための大きな金属関係の工場で働いていたジョンは、PRSのトレモロブリッジやハードウェアのデザインや設計などに携わり、90年代前半までポールを手伝い続けたそうです。
リペアマン/ルシアーとして確実に評価を上げていたポールでしたが、自分が思い描いていた独立した浪漫あるルシアーとしての生活をすることは、”金銭的に”現実的ではないと実感し始めていました。
~続く~