Roger Giffin ~名匠50年間の歩み~ ギブソン編
前回まではこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/roger-giffin/
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/roger-giffin-2/
2年ほどの準備期間を経て、ロジャーはついに渡米を果たします。
まずロジャーは、ギブソンのカスタムショップが立ち上げられるということで、そのメンバーの一人となるためにカリフォルニアに向かいます。
当初、ノースハリウッドのギブソンカスタムショップの設立は、ALEMBICの設立者の一人でもあるルシアーのリック・ターナー(Rick Turner)に任されていました。
しかしロジャーが工房を訪ねたその日、CEOのヘンリーと口論になったリックはギブソンを辞めて立ち去るところだったそうです。
(これについてはリックのインタビューと食い違うので真相はわかりません)
かくしてロジャーは何をしたらいいかも分からないままに一人残されることに。。。
ナッシュヴィルの誰に聞いても”何も知らない、好きにやれば”くらいにしか言われなかったようです。
West Coast Custom Shop and Service Centerと名づけられた工房は、元々ギブソン・アーティスト・リレーションと並設されていましたが、そこは少し後に閉鎖となり、バーバンク( LAの北)にあるマイケル・トバイアス(Michael Tobias)の旧工房に移ることになります。
ちなみにマイケル・トバイアスはハイエンドベースブランドの”MTD”のルシアー/設立者です。
140坪ほどもある工房で、ロジャーはマスタービルダーとして弟子のジーン・ベイカー(Gene Baker)らと協力して、リペア、ギブソンのワランティワーク(保証に基づくリペア等)、工場から送られてくるボディやネックを使ったカスタムギターの製作などをこなし、何とか家賃を払いながら工房を続けていきました。(家賃などの管理もそのまま任されていたようですね。。。)
ロジャーはこの頃のことをインタビューで説明していますが、ギブソンの誰からも何の指示もなく、完全に放置された状態で相当な憤りを感じながら仕事をしていたということが伝わってきます。
その頃の数少ないオフィシャルな仕事の一つがJimmy Page No.1のクローンの製作でした。
リゾート地としても有名なカリフォルニア州とネバダ州の境に位置するタホ湖(Lake Tahoe)で、週末の間、ジミー・ペイジ本人と過ごすことに。
二人はギターについて存分に語り合ったそうで、そこでロジャーはジミーの持つ”No.1″の実機を採寸してテンプレートを作ります。
この時のことをロジャーは
“ジミーは素晴らしい人物。最高に決まってるだろ。あんまりはっきりとは覚えてないけどね”
と言っています。中々、ひょうきんな写真を撮っているところを見るとリラックスした状況だったようですね。(下記リンクの写真参照)
https://www.giffinguitars.com/jimmy_page_pics.htm
そのようにして製作されたギターは”No.1″のバックアップギターとなり、シリアルには”J Page”と入れられた完全なワンオフで、Jimmy Page “No.3″と名付けられます。
このギターのテンプレートや情報は、のちのGibson USAから生産される最初のJimmy Page Signatureモデルに生かされることになります。
またこの頃に出会ったEddie Van Halenとの出会いも印象に残っているそうです。
当時、ギブソンの傘下にあったスタインバーガー(Steinberger)。
Ned Steinbergerにより開発されたトランストレム(TransTrem)が搭載されたギターを手にしたエディから電話が来て、これをスタジオに来てセットアップして欲しいとの依頼が来ます。
トランストレムを完璧にセットアップするのは、至難の技だったようで、相当な時間がかかったそうです。
ロジャーはエディ本人にもこのセットアップの仕方を教えます。
セットアップが完了したギターを手にしたエディのプレイが圧巻だったようで、
ロジャーは、
“トランスポーザーを使いながら、ペダルスティールギターのように自在にギターを操るエディによるプレイは、物理的に不可能と思うようなサウンドだった。”
と語っています。
ギブソンでの活動は5年ほど続きましたが、ギブソンのNashvilleへの完全移転を受けて、West Coast Custom Shop and Service Centerは閉鎖となります。
そして、Giffinは自身のブランドを立ち上げることになります。