Roger Giffin ~名匠50年間の歩み~ 中編
前編はこちら → https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/roger-giffin/
さて、ミュージシャンのたまり場となっていたらしい“Giffin Guitar Workshop”ですが、
The Whoのピート・タウンゼント(Pete Townshend)、ジョン・エントウィッスル(John Entwistle)の二人もその頃の顧客。
カリフォルニアから輸入したSchecterのテレキャスターを使用していましたが、
“ロンドンでいいギターを作る職人がいる”
と口コミで聞いたピートは、ロジャーを訪ねます。
そしてロジャーはタップ付きの2ハムテレキャスターやストラト等、6~7本ほどをピートのために製作することになりました。
リクエストに沿って、ポプラやアルダーを使った超軽量なものだったそうです。
そのうち、ピートが破壊したのは1本(だけ)だったそうで、壊れたギターは記念に工房に飾られていたようです。
オジーオズボーンバンドのベーシストのフィル・スーザン(Phil Soussan)もその顧客の一人。
彼のために自身のイニシャル”PS”を12フレットのインレイに入れたPJタイプのピンクカラーのベースを製作しました。
そのベースをオズボーンバンドの最初のリハーサルに持って行ったところ、オジーに
“you aint playing in my f…. band with a f… pink bass!!”
(俺のバンドでピンク色のベースは弾くな!)
と言われたそうで、フィル本人は気に入っていたようですが、パープルフレイクにリフィニッシュすることになります。
ピンクバージョン
https://www.giffinguitars.com/images/11pinkbass.JPG
パープルバージョン
https://www.giffinguitars.com/images/11pinkbpurpsmall.jpg
ローリングストーンズもまた然り。
1982年。
“ギターが故障しまくって全然使い物にならないからなんとかしてくれ”
という電話を受けて、シェパートンスタジオでリハーサルをするストーンズの元へ駆けつけます。
山積みになっているケースからギターを取り出し、検品して今すぐ直せるものと工房に持ち帰ってリペアするものを仕分けして、リペアするギターを車に詰め込み、次の日直したギターを持ち帰るということを繰り返したそうです。
1980年代の中頃に、アメリカに行くことを考え始めていたロジャーは、ある日ロンドンでのギターショー(NAMMのようなもの)で、GibsonのCEOであるヘンリー・ジャスキヴィッツ氏(Henry Juszkiewicz)に出会います。
その時にヘンリーは”もしかしたらカスタムショップみたいなものを立ち上げて、君を使えるかもしれないな”と軽く言ったそうです。(ちょっとした思いつき程度だったよう)
同じ時期にロジャーは”Genesis”のマイク・ラザフォード(Mike Rutherford)とネッド・スタインバーガー(Ned Steinberger)の二人に協力して、スタインバーガーギターの”M-Series”のデザインをしていました。
ネッドは、ロジャーの作ったプロトタイプのデザインが気に入ってそのままM Seriesはカタログモデルとなりました。
そのデザインの見返りとして、ネッドを通じて、CEOのヘンリー・ジャスキヴィッツにギブソンでの雇用の斡旋を頼みました。 (ヘンリーはロジャーを覚えていたようです)
ヘンリーはテネシー州議員のアル・ゴア(Al Gore)の助けなどを使って、ロジャーが移住するためのVISAなどの手続きを2年程かけて整えました。
こちらは当時のMシリーズの記事です。
https://www.giffinguitars.com/mseries_article.htm
1988年、アーティスト達に愛され、約7年間ほど続いたロンドンの工房を閉めて、ついにロジャーはアメリカへ移ります。
~後半へ続く~