Stephen Stern ~アーチトップスペシャリスト~ 2
前回はこちら
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さて、入社直後からアーチトップ界のレジェンドであるJimmy D’Aquisto(ジミー・ダキスト)とのプロジェクトに取り組むことになったステファン。
実は、当初の予定ではGibsonから移籍してくる別の人物のアシスタントとして働くはずでしたが、その人物は結局フェンダーに来なかったため、代わりにフェンダー/ダキストラインの立ち上げの主要メンバーとして働いていくことになりました。
フェンダー/ダキスト発足の経緯ですが、1980年代半ば、それまでのフェンダーには無かったセットネックやハムバッカー等を採用したギターを製作する” The Master Series”というものがありました。
シリーズには3種種のモデルがラインアップ。
- “Flame”モデル
- ”Esprit”モデル(後のロベン・フォードモデル)
- ”D’Aquisto”(Jimmy D’Aquistoによるデザイン)
これらの生産は全て日本のフジゲンで行われていましたが、1990年代に入ってから製造をカスタムショップに移すことになります。
その中の”D’Aquisto”プロジェクトを担うことになったのが、ステファンでした。
なんと当時のステファンにはホロウボディのギターを製作した経験は皆無。。。
しかし家具作りで培った木工技術を買って、マネージャーのジョン・ペイジは任命することを決めました。
(なんと恐ろしい采配。。。)
1993年5月、フェンダーに入社。
その夏からステファンはジミー・ダキストと共に働き始めました。(しばらくは電話越しのみだったそう)
フェンダーはロベン・フォードモデルやD’Aquistoモデルを1994年1月のNAMMショーで出展することを計画しており、ステファンはそれに合わせて、およそ半年間かけて”D’Aquisto”モデルを製作出来るようにならなければなりませんでした。
”D’Aquisto”モデル製作のためにステファンは、まず日本のフジゲンとジミー・ダキストの両方から設計図をもらいます。
フジゲンからの設計図は専門家により書かれたもので、非常に細かく全ての尺が記入された完璧なもの。
一方、ジミー・ダキストからの設計図は、本人の手書きによるもので一切の尺が書かれていない相当にラフなものでした。
ジミー・ダキストはかなり直感的にギターを作っていたそうで、 工作機械はほとんど使わずにテーブルソーとバンドソーでなんでも作ってしまっていたそうです。
ちなみにその頃にロベンフォードモデルを担っていたGene Baker(ジーン・ベイカー)もダキストプロジェクトの手助けしていたそうです。(特に道具作り)
半年以上もの間、電話越しのみでやりとりしていた二人ですが、1994年1月NAMMショーでようやく初めて対面することになります。
ショーにはステファンが設計図と電話越しの指導のみで製作したD’Aquisto Ultra(#001)を出展。
ジミーがそのギターを見て、どう思ったのか?
ステファンに訂正すべき細かな箇所を複数伝えたものの、それ以外に何も言わなかったそうです。
(真意は分かりませんが、おそらく合格ということだったのでしょう)
こうして1994年夏には、D’Aquistoモデルはカスタムショップの正式な製品として販売が開始されることになりました。
~続く~