Stephen Stern ~アーチトップスペシャリスト~ 3
前回はこちら
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/stephen-stern-2/
さて、カスタムショップの正式な製品として販売が決まったステファンの製作するD’Aquistoモデル。
そのタイミングと合わせて、マネジャーのジョン・ペイジが
“D’Aquistoの製作はマスタービルダーによる仕事でなくては”
という理由から、加入わずか1年程度にしてステファンはマスタービルダーに任命されます。
さらにその1年後にはシニアマスタービルダーとなります。
カスタムショップでの販売開始当初のモデルは
“D’Aquisto Ultra”
“D’Aquisto Elite”
の2種のみ。
“Ultra”はいわゆる”L-5″的モデルで、当時のプライスリストには$7,000。(ピックアップはオプション)
“Elite”はやや小ぶりな”ES-175″的で$6,000。(ES175的モデルですが、こちらは単板)
これらのギターは全て受注生産となっており、カスタムショップのストラトキャスターやテレキャスターが当時1000ドル代後半~2000ドル台だったことを考えるとかなりの高額で販売されています。
ステファンはのちのマスタービルダーMike Ponce(マイク・ポンス)をApparenticeとして教えつつも、まだジミー・ダキストからの教えを受けていました。
その頃は、ステファンがジミーの工房を訪ねたり、ジミーがフラッとフェンダーの工房を訪れたりして、ステファンの指導を続けていたそうです。
ステファンは下記のようにジミーのことを語っています。
“彼は聞き上手で、自分のことを励まし、助けてくれました。
ジミーは自身の世間での評価や当時の立場から、威嚇しているような近寄りがたい雰囲気になることもありましたが、実際はとても暖かい人物でした。
自分に対しても上から命令をすることは無く、対等なビルダーとして接してくました。
また実直な方で、人生のゴールは『シンプルに世界一のギターを作ること』と明言していました。”
と言いつつも、ステファンは別のインタビューでは、
“ジミーは常に忙しく、イライラしていたよ”
と笑いながら語っているところを聞くと、それなりに難しい人物ではあったのではないかと思われます。
1995年にジミーは逝去。当時59歳。フェンダーのコロナ工場に向かう途中で亡くなられたそうです。
1993年からアーチトップを作り始めたステファンでしたが、たった3年後となる1996年には世界の22人のアーチトップ・ギタービルダーの一人としてチナリーのブルーギタープロジェクトに名を連ねることになります。
それは、世界有数のギターコレクターであるChinery(チナリー)によるブルーギタープロジェクト。
このプロジェクトはチナリーがジミー・ダキストにオーダーしたブルーフィニッシュの”Centura Deluxe”(1994年に完成)をきっかけとしてスタートしました。
チナリーが最も愛し完成度が高いと考える18インチ幅&カッタウェイ仕様のアーチトップギターを、現在(当時)のギタービルダーたちに彼らの思う通りの解釈で製作してもらうという趣旨のプロジェクトでした。
上記仕様に加えて、”Centura Deluxe”で使用されたモーホーク社のM-520のブルーでフィニッシュすることが条件となっていました。
D’Angelico(ディアンジェリコ)、Benedetto(ベネデット)、Linda Manzer(リンダ・マンツァー)、Mark Lacey(マーク・ラーシー)、Collings(コリングス)などを含めた錚々たるビルダーたちの一人として選ばれています。(個人としてというよりはあくまでFender Custom Shopとしてではありますが)
チナリーはステファンの製作した”Ultra”モデルに関して、
“手に取って弾いた瞬間にこれはダキストに違いないと思わされた”
という最高の賛辞となるコメントを残しています、
ちなみにこのブルーギタープロジェクトで製作されたギターを使い、Steve HoweとMartin Taylorによるレコーディングも行われており、”Masterpiece Guitars”というタイトルのアルバムが製作されました。
~続く~