ロジャー・サドウスキー ~トップベースブランド~その2
前回までの話はこちらhttps://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/sadowsky/
修理と製作に当たってのサドウスキー氏の考えは、
“ミュージシャンとの一対一で向かい合った関係性を築くことが大事。
どんな音楽をどんな楽器で弾くのかを理解した上で取り組みたい。”
というものでした。
- クライアントが何が欲しくて、どんなものを期待しているかということに関して、完全に明確であること。
- 欲するものと期待していることは可能かどうか、そして誰がそれをするのがベストか。(必要であれば他ルシアーを紹介)
- クライアントのお金を絶対に無駄にしない。
- クライアントには、自分がいいと思うものを渡すのではなく、クライアント自身が欲しいものを。
- クライアントをだまさない。もしクライアントの欲しいものを与えられないのであれば、そのことを正直に伝える。
上記のような態度をもって、クライアント接することで、長い信頼関係を築くことに重きを置いていました。
当時のインタビューでは、このようなプロフェッショナリズムは、東洋哲学の影響が大きいと語っており、禅や侍などを引用しています。
(“もし自分が1600年に将軍にギターを献上する立場だとして、指板にヤスリ跡がついていたら、首を跳ね飛ばされるだろう”というような話)
さて1979年、自身のホームタウンであるニューヨークに工房を移した39歳のサドウスキー。
ニューヨークに戻って間もない頃、すぐに友人を通じてマーカス・ミラー(Marcus Miller)の出会います。
マーカスは1977年製のジャズベースを持ち込み、サドウスキーにこうリクエストしたそうです。
“Do whatever you can to make this the best bass it can be.”
(“何をしてもいいからとにかく最高のベースにしてくれ”)
サドウスキーはそのリクエストに応えるために、
“どのくらい強く弾くのか? どんなタイプの音楽をやるのか?どんなサウンドを求めているのか?”などと、マーカスにたくさんの質問をします。
“サドウスキーは、自身のプレイや音楽に対しての興味と理解を深めようとしてくれた初めてのリペアマンだった”
と後にマーカスは語っています。
そして問答の結果、下記のような増設や変更などのモディファイを大胆に行うことになりました。
-プリアンプの搭載
-キャビティ内のシールディング
-ブリッジ交換
-リフレット&リナット
こうして現在にも続くいわゆる”Sadowsky Sound”と呼ばれるベースが誕生することになりました。
~その3へ続く~