John English ~偉大なる名匠~ 後編
前編はこちら。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/john-english-1/
さてValley Artsに所属していたJohn Englishは、当時のフェンダーカスタムショップの総責任者となっていたJohn Page(ジョン・ペイジ)からフェンダーへの入社の誘いを受けることになります。
70年代後半の短い間ではありましたが、二人は同時期にフェンダーにいたこともあり、親交があったそうです。
ジョン・ペイジとの面接は1989年5月、翌月には入社。
入社直後は、カスタムショップの初代マスタービルダーであるMichael Stevens(マイケル・スティーブンス)の右腕として、フェンダー初のカーブトップ&セットネックの”LJ”モデルの制作を補佐します。
Michael Stevens(マイケル・スティーブンス)についてはこちらをご参照ください。
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/staffblog/introducing-fender-masterbuilders/
その経験をもとにセットネックテレキャスターの製造ラインにおける責任者となり、デザインが完成して生産ラインが安定していからは、念願だったカスタムギターの製作へと移ります。
1992年からはマスタービルダーとなり、数々の業績を残していきます。
ジョージ・ハリスンのオールローズテレの復刻、エリック・クラプトンモデル、ディック・デイルモデル、春畑道哉シグネチャーモデルなど、数々の代表モデルの製作に大きく関わり貢献しています。
大統領だったGeorge W Bushへ提供するための1本、ディックデイル本人が使用するための1本等、著名人やミュージシャンへの提供は無数にあったようです。
フェンダーでの”Relic”はJW BlackとVince Cunettoの二人によって生み出されたという話が有名ですが、実はレリックのアイディア自体はJohn EnglishとFred Stuartによりジョン・ペイジに相談を持ちかけていたことがあったそうです。
しかしあまりにも先進的すぎて、その当時は受け入れられなかったようです。(プレゼンテーションのやり方もJWの方が良かったそうです)
「レリックやレプリカなど、とにかく復元するとが上手かった。
フレイムメイプルやコア材など、ギラギラした杢目などのファンシーな材にはとにかく目がなかった」
とジョン・ペイジとジョンを紹介しています。
カスタムショップの中でもスタッフ皆から非常に愛されていた人物で、
マスタービルダーのDennis Galszka(デニス・ガルヅカ)は下記のように語っています。
「彼は父親のような存在だった。
とても親しい関係だったよ。といっても皆が皆同じようにそう言うだろう。だって彼は人々を心地よい気分にさせる人物だったから。」
後進の指導にも努めており、Jason Smith(ジェイソン・スミス)やChris Fleming(クリス・フレミング)がApprentice (弟子)であったことは有名です。
卓越した技術、ヴィンテージに長けた知識、そしてアート・ギターを製作する芸術センス、どれをとってもマスタービルダーと呼ばれるに相応しい存在でした。
2007年6月28日(満57歳)惜しまれつつもその生涯を閉じました。