004『ほんもの』ジュディのごまかし
004 『ほんもの』 ジュディのごまかし
とっても昔のはなし。
中二の夏のこと。
同級生に、せともの屋のボンがいて、
エレキギターを持っていた。
「触らせてやるよ」って言うもんで
駅前の、せともの屋の二階に行くと
「ついに出たよ、日本からも、ほんものが!」
とか言って、いきなりEP盤をかける。
聴いたとたんにビリビリきた。
まるであっちのサウンド。
ジャケットを見ると
『ザ・ダイナマイツ/トンネル天国』とある。
「※ 帝京(高校)のバンドらしいぜ」
と言う。
帝京と言ったら、当時は新設の不良高校。
不良を夢見る青少年たちの憧れの学校だ★
その頃は不良じゃなきゃモテない時代で、
マンガも映画もドラマも、
ヒーローはみんな不良だった。
「お前、何好き?タイガース?女みてぇ!だっせー」
「オレ?オレはダイナマイツだよ……
何?知らない?テレビ?テレビには出ねえんだよ!ほんものワ!」
ってな感じで認知度はイマイチ。
だけどダイナマイツ好きはカッコイイ。
特にリードギターは外人みたいだ。
ジャケットを見ると父親はイギリス人だと書いてある。
「やっぱし!」
〜確信しました。
「“ほんもの”はリードギターだ!」だと。
この頃はまだ“R&B”と
“リズム・アンド・ブルース”が
同じ意味なんて事も知らなかったのに…。
二度目に“ほんもの”を認知したのは高2の夏。
日比谷野外音楽堂でロックイベントに興じている時だった。
『頭脳警察』が「お前のま●こに聞いてみろ!」
というフレーズを繰り返し唄ってる時、
一緒に行った女の子が
「ねえ!なんて言ってるの?」
としつこく聞いてくる。
それで、前列の方に陣取っていた
先輩グループの輪に避難した。
そこでアンパンをやってる先輩から聞いたんだ。
「ねえ、しってるぅ〜?京都の村八分がさぁ〜、全面鏡張りの赤絨毯ステージでぇ、スト〜ンズよりすごぉ〜いステージやったんだってぇ!」
っと、よだれまじりに言うのを。
「ストーンズより凄いんだ。そりゃ凄いな!」
って、みんなで盛り上がった。
ストーンズを見たこともないのにね…。
しかも、バンドを率いてるのは
あの、“ほんもの”バンド『ダイナマイツ』のリードギターだと。
「『村八分』は決して、京都から出ないんだって!」
誰かがそう言った。
『見てえな、聴きてえな』
誰もの頭の中で“村八分”の幻想が“ぷ~”っと膨らんだ。
あの時代の“風の噂”は、
何にもまさるパブリシティだったのかも知れない。
三度目はいきなりやってきた。
「トシの大好きな冨士夫が来てるよ!」
っと、エミリからの電話だった。
彼女の居るマース・スタジオに
“ほんもの”ギタリストが来ていると。
その時僕は、25歳で、すでに結婚して、子供がいて、就職したばかりだった。
子供を抱っこしてマース・スタジオの
プライベート・スペースに行くと、
“ほんもの”ギタリストがキッチンに座っている。
『もみあげが長い…』と思った。
尾崎紀世彦みたい。
(どうでもいいことが記憶に残るもんだ…)
何か話したかった。
だけど、思いつかずに隣の部屋の窓辺まで素通りした。
子供を抱っこしながら外を眺めていると
エミリが来て
「せっかく来たのに話さないの?」
と聞く。
でも、ホントに、何を話せばいいのかわからない。
あれこれ考えているうちに
“ほんもの”ギタリストは帰ってしまった。
残念そうにしていると
「法政大学でライヴがあるからさ、それに行きなよ」
エミリが、そう言ってくれた。
法政の学館ホールは黒装束の人だらけだった。
それがゆらゆらと揺れているような感じだ。
「なんか、へんな新興宗教に来たみたい」
と思った。
『裸のラリーズ』はマース・スタジオで
垣間見たことはあったが、
音やパフォーマンスを見るのは始めてだ。
延々と流れるノイジーなサウンドに身を委ねると
なんだかいい気分がした。
冨士夫はゆっくりと、
まるで寝ているかのようにギターを弾いている。
ときおりギターの弦に引っ掛かる
長〜い原色のスカーフを気にしながら
永遠に目の覚めない浅い夢のような音色を出している。
なんだか、退屈でもあり
なんだか、官能的であり
なんだか、恐ろしくもあった。
『裸のラリーズ』には
確かに他には無い感覚があった。
“とっても昔のはなし”
から10年余り…。
やっと、“ほんもの”を見ることができた。
それだけで満足…。
…そのはずだったのだが。
(1969年〜1980年)
※ ほんとに帝京高校生だったのは、ベースの吉田さんだけでありました。