013『ジュニア』 Blues jam
013 『ジュニア』 Blues jam
『TUMBLINGS』のシーンでは、
周りに先輩が多かった。
ベビーブーム世代が世にはびこり、
そこかしこでブイブイ言わせていたのだ。
客にしてもそうだ、
冨士夫たちの昔からの知り合いが多く、
「よぉ!そこの、マネージャーさん、ビールお願い」
なんて言ってくる。
さすがにそこは
「自分でお願いしますぅ」
なんて返すと、
「やっぱり!」となるが、
でも、油断すると
いい人に見られたい輩なんかは、
すぐにアゴで使われちまう。
まぁ、上から目線の物言いも少ないし、
嫌な先輩もさほど見当たらなかった。
ただ、やっぱり変わった人は多かった。
ライヴ中に舞踏のごとく動きまくる
『先輩T』がいたのだが、
一緒に電車に乗ったら
網棚の上に乗ってしまった。
「何してんだよ!」って聞くと、
「世間を見下ろしてるんだ」って。
「なんて狭い世間なんだ」って、
文句を言って降りてもらったが、
それ以来、中央線に乗ると
しばらくその幻影が浮かんだりした。
『先輩T』は我が家にも突然やって来た。
もちろん、お招きしたこともないので、
なんで家が知れたのかわからないのだが、
玄関を開けたら、
道路工事に使う赤い三角帽子をかぶり、
八百屋さんで大量のタマネギを入れる
赤い網袋を着て?立っていた。
「???…」
言葉を失うとは、こうゆうことなのか!?
わけがわからなかった。
残念なことに、
このときのメッセージは
未だに解読できていない。
家のそばに引っ越して来ていた
『先輩S』は普通に変わっていた。
ある日、仕事帰りに
家に向かって歩いていると、
『先輩S』が犬の散歩をしているのが遠くに見えた。
「犬を飼い始めたのか…」
と思った。
『先輩S』はアート界のヒーローだ。
冨士夫とはすこぶる仲が良い。
そんなことを考えながら
家に帰って
庭をぼーっと眺めていると、
縁側の向こうを“ざざざ”っと人影が横切った。
「あれっ?」
っと思い、縁側に近づいていくと
今度は反対側から“ざざざ”っと来る。
……と思ったら、
「ワンワンワン!」
っと、いきなり吠えた。
「えっ?」
見ると、そこには、ウチの庭で、
ウチの犬を連れた『先輩S』が
汗だくになって立っていた。
「あっ、トシちゃん、引っ越して来たよ」
と、のたまう。
「知ってる。犬、好きなんだ?」
って聞いたら、
「そうでもないよ」って。
じゃあ、なんで?
『先輩S』は勝手にウチの
ミッコロポチ(犬の名前)を
連れ出していたのである。
その後も、
たびたびミッコロポチ
を連れ歩く先輩Sの影を見かけた。
「できれば、散歩に連れていくときは言ってね」
と伝えたら、
「わかってるよ〜」
と言い残したまま、
本人が散歩するように
引っ越して行った。
国分寺のみんなが集まる
某飲み屋に行くと、
「冨士夫のマネージャーになったんだって!?」
とオーナーが寄って来た。
「よく聞け、ヤツはこの店に呑みカケがある。
だけどそれはいい、チャラにしてやるよ。
その代わり大事な話をしよう」
と、“朝まで生テレビ”のようなことになった。
部落問題から天皇を経由して
この国の在り方まで、
いつも頭の中に押さえて
おかなければならないことを教わった。
とにかくいろんな人がいた。
会社でも直属の上司はベビーブーム世代だった。
かたや、バリバリの上昇志向。
それに対して、
冨士夫の仲間は対岸にいるように見えた。
こなた、コテコテの自由主義。
だけど同世代だから中身は同じ。
頑固でハッキリとしている。
ゆえに、主義主張が強い。
僕はどちらからも助言された。
かたやからは、
「ヒッピー時代を引きずってマリファナ
吸ってる輩と居ると取り残されるぞ」
こなたからは、
「悪の巣窟と化してる巨大メディアから
早いとこ出ておいで」
どっちも合ってるような気がした。
考え方は違うけれど、
発してるエネルギーが外を向いている。
あの世代が魅力的なところは、
ちょうど大人になるころに
価値観がひっくり返る“刺激”があったことだと思う。
僕らの世代は、
それを垣根越しに
背伸びして覗いていた世代。
「早くそこに行きたい」と、
垣根を越えたときには、
すっかり景色は変わってしまっていた。
変わりに“オイルショック”とかがあったりして
「随分と、違うじゃねえかよ〜」
なんて、パンクになったのを憶えている。
冨士夫のマネージメントを始めたとき、
右も左も解らずにキョロキョロしていたら、
ジュニアという割腹のいい先輩に、
「大丈夫だ、俺が英才教育してやるから」
と言われた。
ジュニアは冨士夫の知り合いで、
まず、ビンテージの高額なギターを2〜3本、
「これ、使っときな!」
っと、冨士夫によこした。
「今日、6時から時間空けとくように」
っと、コチラの都合も聞かずに
会社に電話をしてきたと思ったら、
渋谷のクアトロに連れて行かれた。
エントランスにいた、ある人物に
「彼は冨士夫のマネージャー、入るよ!」
って言って、顔パスで会場入りした。
「だれ?」って聞いたら、
「YMOのマネージャー」
だと言う。
「むむ、時の人だ」と思った。
ライヴはビジュアル・パンクの
イギリスから来たバンドだった。
どうやら、イベンターらしき
こともやってるらしい。
とにかく、マネージャーはいろんな事を
しなくてはいけないのだな、と
妙に納得した。
その日の打ち上げには、
それらしき人物がズラリといた。
誰が誰だったか憶えてないが、
笑顔で名刺交換した自分は
記憶の片隅にある。
とにかく、ジュニアは顔がきいた。
どこにでもズカズカ入って行く様は、
見ていて気持ちが良かった。
こういう人が
“Rockなマネージャー”なのかも知れない
と思い、
「冨士夫のマネージメント、
ジュニアがやればいいじゃない」
って言うと、
「嫌だよ!冗談じゃない」と言う。
当時はカフェバーが話題だった。
ジュニアに、乃木坂の
インクスティックに連れて行かれ、
いろいろと顔を売った。
「そうか、とにかく顔を売るんだ」
と思った。
そのかいあって、
インクスティックで行われる
イベントの仕事をとった。
確か、アフリカに関するイベントで、
マサイ族出身のモデルも来るとか
いう内容だったような気がする。
冨士夫はゲストである。
しかし……
そこで冨士夫は大立ち回りをしてしまった。
主催の人間やスタッフと
ステージの手前で
殴り合いになったのである。
原因は、何だったか憶えていない。
ただ、そのときわかったことは、
僕が売った顔、
全てが無駄になったことと、
ジュニアが言ってた
「嫌だよ!冗談じゃない」
と言う言葉の意味だった。
(1983年/秋)