015『外道、Too Much、村八分』Mustang Sally
015 『外道、Too Much、村八分』 Mustang Sally
高校生のころ、『外道』が好きだった。
『キャロル』と同じように
暴走族の親衛隊がついていて、
「外道に礼!」
と、挨拶するところも
なんだか可笑しくて良かった。
当時は、長髪族とリーゼント族が仲悪く、
イベントをやると、
そこかしこで小競り合いが起きていた。
いうなれば長髪族は『外道』で
リーゼント族は『キャロル』なんだろうか?
いやいや、そんなに単純にはいかない。
僕のような日和見主義は
どちらも好きだったから。
「外道に礼!」
をした一人でもあるが、
「なめんじゃねぇよ!」
って、えいちゃんみたいに
口をゆがめてつばを吐き、
「似合わないからヤメなさい!」
と、付き合っていた彼女の
叱責をかった一人でもあるのだ。
『外道』のアルバムを
走って買いに行った。
ボール紙に『外道』という
判子を押しただけの
ジャケットを見て、
「やっぱ、外道だ」
と、訳もなく感動する。
『RIDE ON』のレコーディングのとき、
その『外道』のマサが目の前に現れ、
ちょー 驚いた。
「外道に礼!」はしなかったが
「どう思う?」
と、メンバーに対する意見を
冨士夫から聞かれたとき、
実は、内心すごく喜んでいたのに、
澄まし顔で
「いいんじゃない」
と答えていた。
マサはとてもクールガイだった。
無口で静かに笑う。
『外道』のステージで見たような
派手なパフォーマンスはなかったけれど、
『TUMBLINGS』での、
どっしりとしたベースラインは
けっこう好きだった。
リハやライヴの帰りに
車で送っていったりするとき、
「ムスタング・サリーってかっこいいな」
とか言う。
冨士夫のアレンジを誉めているのだ。
「冨士夫と演ったら、
他の奴とはできねえよ」
と、あるときマサは言っていた。
“『外道』のマサ”ともあろう人が
なんてことを言うんだ!?
ちょっと、意外だった。
そのマサが『外道』の前に
リズム隊を組んでいたのがヒデ。
『Too Much』という京都のバンドで、
マサがベースで
ヒデがドラムだった。
そのバンドの面倒をみていたのが木村さん。
木村さんというのは
『Too Much』の後、
『村八分』のマネージャーにもなった人だ。
青ちゃんも『村八分』の初期の
メンバーだったわけだから、
『TUMBLINGS』は、
縁のある4人が集まってできた
バンドなのである。
バンドを続けていくと
次第に個々の役割ができてくる。
ヒデはムードメーカーで、
いつも明るく前向き。
機材車の運転はヒデがしてくれた。
機材の関係で用があり
当時の彼の家に行くと、
庭中ジャングルのように
大麻が生えている。
「大丈夫なの?」
と聞くと、
「こんだけ生えてりゃ、ただの雑草やろ!」
と、平気な顔をしている。
実に明るく前向きなのだ(?)
マサはさっき言ったように
クールガイなのだが、
このころの青ちゃんも負けてはいない。
青ちゃんはチャキチャキの江戸っ子。
親父は歌舞伎座に手ぬぐいを
卸していた由緒ある職人肌の色男。
会ったときには
すでにロマンスグレーだったが、
遊び歩いた男だけが持っている
実に艶のある笑顔をしていた。
まあ、その息子が青ちゃんってわけ。
モテないわけがない。
だから、可愛い娘ちゃんから
「これを渡してください」
とかのターゲットは
いつも青ちゃん。
「これを冨士夫さんに!」
っと、冨士夫にも贈り物はある。
だけど、決まって危ない男から。
「キャーッ」って黄色い
声援を受ける青ちゃんと、
「ふぢおぉ〜!」っと、
野太い声がとぶ冨士夫との
ステージの対比がおかしかった。
そして、青ちゃんは生来の怠け者。
ギターはステージでしか弾かない。
“縦のものを、横にもしない”
とは青ちゃんのことだ。
ある日、青ちゃんの家に行ったら
「トシ、そのまま上がってくれ!」
と、奥から青ちゃんの声。
奥の間に入ると、
青ちゃんは、ひじ枕で横になっていて、
「わるいけど、そこの煙草を取ってくれ」
っと、目の前のちゃぶ台を指差した。
むむっ!そこまでするか?!
だから冨士夫は必死だった。
このバラバラな3人をまとめようと
考え過ぎたりもしていた。
“セックス、ドラッグ、ロックンロール”
はもう古い。
破滅的なパフォーマンスが
ウケるような時代でもない。
『RCサクセション』の成功により、
不良にもセンスが必要になったからだ。
だけど……、
どんだけマウンドで振りかぶってみても、
結局、冨士夫の決め玉は直球しかない。
意を決した冨士夫が電話してきた。
「トシ、俺たちだけのスタジオを作ろうぜ!」
っと。
……とびっきりの速い球を投げてきたのである。
(1984年)