022 『ギャザード』 『Blues Carnival ’86』7/13日比谷野外音楽堂

022 『ギャザード』 『Blues Carnival ‘86』7/13日比谷野外音楽堂

僕は、あさはかなほどに何でもすぐに
決めたがるクセがある。
「いいかげんだよね」って、
そこかしこで言われたりするのだが、
そうゆうつもりは毛頭ない。
いろんな物事がプラスに見えてしまうのだ。
だから、見る前に飛んじゃったりする。
飛びながら「あれっ!?」って、
違う景色にたじろいじゃっても、もう遅い。

おまけに自分の考えに酔うのが得意だ。
アイデアが浮かぶと人に話したくなる。
話してるうちに、思いつきが確信に
変わっちゃったりするから、
どんどん悦に入って、遠くに遠くに行って、
あることないこと何でも言って、
見知らぬ景色に呆然となっちゃったりするのだ。

冨士夫は、いつもソレを気にしていた。
おおむね、彼は優しいから
ぼくの先走りプランに対して
「おっ!先攻逃げ切りだね」っとか、
「速攻っでいくのか!」とかいった、
スポーツ用語で間の手をいれてくれることが多い。

そんな冨士夫は、じっくり派である。
考えることの多い人生を過ごしてらっしゃるので、
最悪のことも視野に入れる。
おまけに、あまのじゃくで、
生真面目だったりするので
気がつくと、僕とは反対の角度から
物事を見ていることが多い。

「このまま進んで大丈夫なのか?」
リハビリ城から出て三ヵ月、
伸び始めた髪を気にしながら
冨士夫が聞いてきた。
『シーナ&ロケッツ』とのジョイントは
2月の『LIVE INN』でのライヴを皮切りに、
3月には何度もスタジオ・リハを繰り返し、
レコーディングの日程を迎えようとしている。

冨士夫としては、ここでもう一度
立ち止まって考えたいところなんだろう。
だけど、みんなは、もう角を曲がっていた。
誰かが、冨士夫を呼びに角から顔を出す。
「早く来いよ」って感じ。
「わかったよ!」
冨士夫がみんなに追いつく。
そして、
『シーナ&ロケッツ』のニュー・アルバム
『ギャザード』のレコーディングに入った。

ビクターのスタジオには
ライヴ使用のPAが持ち込まれ、
まるでステージさながらの様相だ。
冨士夫のギターを考えてくれての
録音方式のようだった。
もしかすると鮎川さんは、
クロコダイルで冨士夫のステージを
眺めていたときから思いついていたのかも知れない。
そう思うほどに、よどみないアイデアと
仕事の流れだった。

3月31日と4月1日の2日間で冨士夫のパートは終了。
冨士夫にとっても久々のレコーディングだったが、
思えば、これが他のアーティストに
ゲストで参加した初めてのアルバムになった。

「レコーディングはほとんど一発録りの世界だったよ。
俺のギターをフィーチャーした曲はね」
と、冨士夫は当時を振り返っている。

『ギャザード』のキャンペーン・ツアーは
6月21日の恵比寿を皮切りに
23・24日に大阪/キャンディ・ホール、
26・27日の名古屋のグレイトフル・ユッカへと続いた。

『シーナ&ロケッツ』は、
キャンペーン・ツアーとは別に
7月13日の日比谷野外音楽堂で行われた
『Blues Carnival ’86』にも出演した。
イベント嫌いで、
あまりいい顔をしなかった冨士夫を、
『ロイ・ブキャナン』も出るから
という訳のわからない理由で説得したのを覚えている。

この日のステージの一部が
Youtubeにアップされている。
鮎川さんとのバランスを気にしながら、
謙虚にゲストを務めている冨士夫がけなげだ。
映像のキャプションに
【もうひとりのギターもカッコイイ】
なんて、コメントされちゃって……。

そう、もうひとりのギターが、
そろそろ“いい人”でいる限界に近づいてきていた。
ほら、黄色いランプが点滅している !?
しかし、『ギャザード』キャンペーン・ツアーには
この後、まだまだ九州を巡るスケジュールが控えている。

そして、仙台の『R & R オリンピック・ショー』
の“恐ろしい打ち上げ劇”もこの後に起こるのだ。

「トシ! 俺はハッキリと誠ちゃんに言うぜ!」
そう冨士夫は息巻いた。

「何を言うのさ?」

「決まってるだろ!俺たちの距離を縮めるんだ。
裸と裸の付き合いをするんだぃ!」

とたんに、九州ツアーの雲行きが怪しくなってきた……。

(1986年/3月〜7月)

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