031 『TEARDROPS』 いきなりサンシャイン
031 『TEARDROPS』 いきなりサンシャイン
70年代の初め、『オレンジ・サンシャイン』
という強力なアシッドがあったという。
村八分のみなさん、それでトんでいたとか!?
「朝イチからやるんだから、たまんねぇよ!?」
と、冨士夫が言う。
幻覚の中で、次第に無口になっていく
『村八分』の姿が思い浮かぶ…。
♪ 寝ぼけまなこに オレンジ・サンシャイン♪
『TUMBLINGS』の頃、そんなフレーズが
冨士夫の脳裏に浮かんでいた。
その後、リハビリ施設から約1年振りに
戻って来た1988年の初春、
復活の狼煙とともに
健康的で明るく真面目になった別人が
再び目の前に現れた。
「もうドラッグはやんないよ!こりごりさ」
そう言いながら五分刈りの頭を
少年のようにかきむしる。
不自由な期間が1年だったのが幸いした。
そのくらいなら、まだみんなも待つことができたのだ。
青ちゃんは『ウィスキーズ』で磨いていたし、
カズはハコバンからやり直していた。
それに、何にしろ、シーナや鮎川さんが
冨士夫を引っ張り出してくれたことで、
今までとは全く違うオーディエンスが
冨士夫を感じようとしていたのだ。
「ここは、わりきらないとな…」
冨士夫は、ずっと通してきた独自の道を、
少しわかりやすいほうへ広げようとしていた。
その、新しいバンドは『TEARDROPS』。
名前を思いついたのはドラムの佐瀬である。
「桑名さんのところと同じバンド名だよ!」
という、サミー前田からの忠告もおかまいなしで、
「佐瀬みたいなゴッツイ奴が考える名前じゃねぇだろ!」
って、全員で大笑い!
あんまり可笑しかったので
そのままバンド名にしたのだった。
冨士夫の生き甲斐は、
まぎれもなくステージだ。
新しいバンドができたなら
ひたすらに、それをイメージする。
♪ 寝ぼけまなこに オレンジ・サンシャイン♪
を改め、
♪ 寝ぼけまなこに いきなりサンシャイン♪
になり、
♪ 朝の光りが たまらなく気持ちいいぜ♪
っと、続いた。
冨士夫は、『TEARDROPS』を
紹介する曲を作りたかったのだ。
青ちゃんを呼んでステージに向かい、
久し振りのライヴに高揚する客たちをあおる。
きっと、そんな瞬間を
イメージしていたのだろう。
不自由な囲いの中で、
「いつもステージを想像していたんだ」
と冨士夫は言っていた。
生きているインスピレーションを感じられる瞬間。
ロックとは、“揺さぶる”ということなのだという。
カズと佐瀬のリズムに揺さぶられ、
♪ ジョイントしようぜ Baby お前の魂と♪
と、訴えた。
レコーディングは新宿のJAM St.で行われた。
レーベルは『S・E・X Records』
青ちゃんの『ウィスキーズ』の流れである。
ほとんど一発録りのインディーズ、
それでもメンバーには何の問題もなかった。
ジャケット撮影をする段階で、
カメラマンをK先輩にお願いした。
K先輩は僕の中学の一級上である。
中学から長髪(昔は少なかったのだよ)のロック者。
ひょうひょうとしているのだが
若くして、なかなかのアウトローだった。
さて、その撮影だが、
空抜けの構図が欲しいと思った。
そこに4人の顔が収まる。
単純になんのてらいも無い挨拶写真。
そこに『TEARDROPS』を大きく打ち出した。
メンバー全員が初台に住んでいたので
新宿西口公園まで散歩した。
公園の小高い山にワイワイ言いながら登る。
当時は、まだ西口高層ビルも少なかったので
バックに空が抜けた。
冬空に普段着の4人が逆光で写る。
冨士夫は出て来たばっかりなので
笑っちゃうくらい真面目で姿勢が良い。
(それにしても普段着が地味すぎるだろ)
ここが『TEARDROPS』の原点。
何のカッコつけも飾りもない。
『いきなりサンシャイン』なのだ。
決して『オレンジ・サンシャイン』ではなく。
遠い昔の記憶……、
高校に入ったばかりの16歳の頃、
自宅の前の道で
その、K先輩に出くわしたことがある。
とりわけて仲が良いわけでもなかったが、
立ち止まって世間話になった。
そこでK先輩は“ニヤッ”っと、
少し笑いながら聞いて来た。
「LSDはやったことあるの?」って。
あるはずがない、っていうか
普通にないだろ!?
そんな、こちらの答えを待つでもなく、
K先輩はLSDの効果について説明を始めた。
「脳がメリメリっときしんで、目の前に
幾何学模様が広がっていくんだよ」って。
この一言は相当に僕をとりこにした。
“いつか、絶対やりたいLSD”
そんなスローガンが心の中で
ウズウズしたのを憶えている。
そのLSDが『オレンジ・サンシャイン』だった。
K先輩も、その頃はまだ17歳くらいだったはず。
かつての言葉で言えば、
早くから“ロック(揺れる)”していたんだな、
って思う。
その一緒に揺れていた仲間が
『石丸しのぶ ※1』たちだったっていうのだから、
世の中は狭い。
ということは、そこにはもちろん冨士夫も登場する。
『いきなりサンシャイン』の撮影をする時、
冨士夫にカメラマンとしてK先輩を紹介すると、
偶然にも二人は旧知の仲だったのだ。
しかも『オレンジ・サンシャイン』つながり。
『オレンジ・サンシャイン』で知り合って、
『いきなりサンシャイン』で再会したってわけ。
そんな、こじづけで、新春第二話、
おあとがよろしいようで……。
今年もよろしくお願いします。
(1988年、初春)
※1 石丸しのぶ / 冨士夫の親友。『セツ・モード・セミナー』では、青ちゃんやケンゴ、コっぺ(ジニー紫)の同級生。『フラワー・トラベリング・バンド/SATORI』のジャケットを描いたことでも知られるアーティスト。実は、学生時代に僕は【しのぶ】に憧れていた。『グラフィック/デザイン』という月刊誌で【ポスト/横尾忠則】として紹介されていたからだ。まさか、その10数年後にウチの犬を勝手に散歩させてる【しのぶ】に出会えるとは、神様もおふざけが過ぎる。K先輩は、【しのぶ】と、西荻の指圧医院で知り合ったのだとか。LSDで疲れた身体を治療しに行った先に【しのぶ】や冨士夫が居たというのだから、神様のおふざけは度が過ぎてる。そのうち、「お前ら、若いのにこんなガチガチの身体になって、何やってるんだ?」って聞く指圧の先生に【しのぶ】が『オレンジ・サンシャイン』を伝授したのだとか……。先生は特攻隊の生き残りだ。「こうしてはいられない!」と、突然に知覚の扉が開いたのかどうかは定かではないが、『ラジニーシ』を求めてインドに行ってしまったと言うのだから、神様もホント、シャレにならない。(ここら辺のエピソードは面白いので、そのうちK先輩に自白してもらうので、乞うご期待)
ところで、年始に【しのぶ】の奥さんから連絡をもらった。「しのぶの画集を出したい」と言う。賛成です。出来る限りのことを致しますです。