034『初台』HEY! Mr.DRIVER
034『初台』HEY! Mr.DRIVER
1987年も押し迫るころ、冨士夫は初台に移り住んだ。
それまでが幡ヶ谷だったから、
ひとつ新宿に寄ったことになる。
このときの住まいはアパートでもマンションでもない。
何というか、商店街のビルの一室。
1階は倉庫だったか何だったか忘れたが、
その横の階段を上がった2階にあった。
初台といっても、オペラシティ側で、
水道道路から1本中に入ったところだ。
こぢんまりとした暮らしやすい商店街の中にある。
すぐ裏には『レオ・ミュージック』があり、
楽器関係にはことかかない。
近くを散歩していると、
柴山さん(もとサンハウス)によく会った。
ネギかなんか抱えた
買い物帰りのカリスマを目撃すると、
何か良いことがありそうな気がしたものだ。
そのころのオペラシティは、まだ水道局で、
今の新国立劇場はテニスコートと貯水池だったと思う。
バンドのミーティングはロッテ本社の横にある
デニーズでやることが多かった。
冨士夫はミーティング好きで、
何かというと話し合いをする。
基本的に隠し事はなし。
ガラス張りの関係で、
全員が納得づくで仕事に取り組む。
そんなスタイルを良しとした。
確かに、それはとてもよろしいんだけど、
ミーティングの度にかかる飲食代もバカにならない。
そんな現実に曇った顔をしようものなら、
冨士夫のセンサーはすぐにそれを察知する。
「大丈夫だよ、トシ!儲ければいいんだからさ」
と務めて明るく言う。
そりゃ、そうだ。その通り。
冨士夫のそんなところが好きだった。
根拠がないんだけどね。
1987年のクリスマスに発売したEPレコード
『いきなりサンシャイン』の発売イベントを、
1988年の初頭に渋谷の『LIVE INN』でおこなった。
ほんとうは、お世話になっている『クロコダイル』に
義理立てしなけりゃならないんだけど、
どうしてもキャパの大きな会場で試してみたかったのだ。
その代わりといっちゃなんだけど
翌2月に『クロコダイル』を2本入れてある。
2ヵ月に同じ渋谷で3本という、
なんだか無謀なブッキング。
正直いって、特別な理由はないが、
調子に乗っても大丈夫のような気がしたのである。
結果は思った通りだった。
3回とも満員御礼の大盛況。
なかでも『LIVE INN』なんかは、
サミー前田が「客が800人も入ったよ!」
なんて報告するもんだから、
ついこの間までそれを信じていた。
去年だったか、サミー前田と別件で呑んだ時、
「800ものキャパなかったでしょ『LIVE INN』は !?」
なんて平然と言われて唖然とした。
思い起こしてみれば確かにそうだ。
ギャラもそんなじゃなかった気がする。
僕自身が無意識に吹かし過ぎたのか?
サミー前田が内輪からその気にさせたのか?
今となっては全く覚えがない。
わかっているのは、冨士夫が800を信じたまま、
今も彷徨っているということ…。
まぁ、それはそれで良しってことで…。
“つまらない事実より、面白い嘘のほうが、
人生にとっての真実である”
(by ボブ・ディラン)
さて、いよいよ『TEARDROPS』の幕上げだ。
ドラッグのドの字もありゃしない。
逆にオーバーヒート気味に飛ばす、
冨士夫の生真面目さが極端に映る。
青ちゃんも以前の“心ここにあらず ”
の青ちゃんではない。
『ウィスキーズ』で場数を踏み、
高校の剣道部の主将だった頃の
姿勢が戻ってきていた。
(とにかくギターを弾く姿勢が良い)
カズのやる気に押されるように、
佐瀬にも弾みがついている。
『LIVE INN』に続く『クロコダイル』でも
予期せぬゲストで盛り上がった。
ジョニー・サンダースや忌野清志郎である。
先日、このサプライズな夜を撮ったビデオを久々に観た。
あんまり懐かしかったので
実は、28年振りのサプライズを
同じ『クロコダイル』で上映してみようか!?
と企んでいるところ。
そろそろ『よもヤバ話』もイベントにしていくか?
なんてね、あくまで例えばの話です。
話を初台に戻そうと思う。
商店街に面してて行きやすかったせいか、
このときの冨士夫の家には
絶えず誰かがお邪魔していた。
ナチュラルな時の冨士夫は、とてもいい人だ。
バンドのメンバーに限らず
様々な人がその人柄に惹かれて訪れる。
夜になると、たいがい酒を呑む。
そしてギターを弾きながら歌う。
そのうち時間を忘れて永遠に続く宴…。
いい人の冨士夫は、決して「帰れ」なんて言わない。
それは、思ってても態度に出さないのだ。
だから、こっちから切り出すことにする。
「ごめん、冨士夫、もう帰るよ」って。
すると、「ああ、そうかい ! ? 気をつけてな!」
って言う時は正解だ。
「もっといろよ、トシ!」
ってなれば居ればいい。
終いには酔いつぶれて、
ギターを抱えたまま寝ちまっている冨士夫の横を
そ〜っ、と去るハメにもなるのだが、
今みたいな春めいた夜更けには、
そんな時が、なんともいい気分だったりもしたのだ。
ある晩、川田良が一緒に居た。
奴の得意は日本酒である。
とめどなく呑んでいた。
冨士夫と3人だったから、騒ぐでもなく
たんたんと世間話を肴に酔いがまわる。
夜中も2時をまわったころだろうか、
やけに腹がすいてきた。
世間話じゃ腹は満たされない。
おもむろに冨士夫が台所に立った。
何やら、ゆったりと作っているようだ。
少しして、丼ひとつと箸を3人分持った冨士夫が宴に戻った。
丼の中には、のびかけたみそラーメンが1人前入っていた。
のびかけているので量は多く見える。
それを、冨士夫は、ずずず〜っと、食べると、
何も言わずに僕に差し出した。
美味そうである…。
食べてみると、ざく切りにした
魚肉ソーセージだけが入っている事に気がついた。
それが、また美味かった。
残り三分の一のところで良にまわした。
良もまた一心に食べていた。
食べ終わると、とめどもない時間が一区切りした。
「さっ!、お開きにするか」。
帰り際、今しがたのラーメンの味が忘れられなくて、
みそラーメンと魚肉ソーセージを買って帰った。
家に帰って、同じように
少しのびかげんで作ってみたのだ。
だけど…、たいして美味くはなかった。
「なんか、ちょっと、がっかり」だった。
『初台』を憶うと、そんな過ぎ去ったささいな日常が浮かぶ。
そのうち、青ちゃんも、カズも、佐瀬も、
気がついたら『初台』周辺に住んでいた。
EMIと契約したのを期に、
初めての事務所も『初台』に構えた。
それまで、自宅兼事務所で気楽だった僕に対して、
「毎朝、9時には事務所には出てくれよ」
と、冨士夫は何かと口うるさかった。
きっと、バンドとスタッフ一丸となって
仕事をしたかったのだろう…。
今となってはわかるような気がする。
そうそう、そう言えば、
冨士夫の家で呑んだ翌日の昼過ぎ、
良が「昨日はお疲れ」って、電話をしてきた。
何の用事かと思ったら、
「夕べ、冨士夫んとこで喰ったラーメン、ミソだよな」
っと、聞いてくる。
「そうだけど、何で?」と答えたら、
「あれから帰って作ってみたらさ、あんまり美味くねえんだよ」
と、のたまう。
可笑しくてたまらないのを我慢して言ってやった。
「あれは、あの時だけの味だったんだよ」って。
人生で二度と味わうことのできない
『冨士夫ラーメン』だったのだから…。
(1987年暮〜1988年初春)