040『延原 達治/THE PRIVATES』

040『延原 達治/THE PRIVATES』君が君に

『よもヤバ話』も、綴り始めて1年になる。
その間、冨士夫が声をかけてくることはなかったが、
何度か、ポン!っと、枕を叩かれたりした。
それは、本を読んでたり、パソコンを見てたりして、
決まって、リラックス気分で寝転んでいるときだ。
別にこわくはないし、当然、姿も見えない。
だから、冨士夫かも知れないし、
青ちゃんかも知れないし、
佐瀬、良、しのぶ……、
……と、まぁ、そんなところだろう。

ただ、何か文句があるのかと?……。
それが、ちと気にはなるが、
わけがわからない現象は仕方がない。
このまま好き勝手なことを綴らせてもらうとして、
自分勝手に一周年記念ということにしようと思う。

さて、勝手な一周年記念に何を書こうかと考えてたら、
何故か延ちゃん (延原達治/THE PRIVATES)の顔が思い浮かんだ。
去年、Beggars主宰のイベントに出てくれた時に、
「俺の出番、もうすぐだよね」
と言うので、イベントの出演順かと思ったら、
『よもヤバ話』の出番のことだった。
「まったく、ややこしいやつめ」
っと、いうことで、お待たせしました。
延原さん、出番でございます。

TEARDROPSが東芝EMIと契約をして、
初のレコーディングを行う時、
延ちゃんはスタジオに現れた。
1989年の1月のことである。
このことは、僕よりもエミリが憶えていた。
担当のディレクターが、
「会いたい、と言っているアーティストがいる」
と、スタジオに連れてきたらしい。
そのままハープを吹いて帰って行ったという。
それが、まぁ、ファースト・コンタクトってわけ。

当時、THE PRIVATES はすばらしく若かったが、
それでも、東芝EMIではTEARDROPSより先輩だった。
印象としては、
「こんなにすれてないロックバンドがいるのだろうか」
と、驚いたことだ。
当時、自分の周りをぐるりと見回してみると、
見事にロッカーが吹き溜まっていた。
見るからに怪しかったし、不良っぽかった。
付き合ってみると、まぁ、良い奴だし、音もいいし、
馬鹿っぽくしているけど、そうでもないし、
明るいし、カッコつければそれなりの奴ら。
しかし、油断は禁物である。
季節風が吹くと裏返っちゃたりするからだ。
そんなんばっかりだったから、
それがロックだと思っていたから、
THE PRIVATES を初めて見た日にゃあ、
すんごい好青年の集まりに見えたのである。

僕は勝手に、THE PRIVATES のことを
世田谷区のバンドだと思っていた。
何でそんなことを想っていたのだろう?
きっかけは思い出せない。
延ちゃんとショーネンは、
成城あたりの中学の1級違いの先輩後輩で、
多摩川の夕陽をバックにギターを
練習している青春図が
僕の脳裏には、浮かんだりしていたのだ。
もしかすると、EMIのMディレクターからの
情報だったのかも知れない?
定かではないが、冨士夫も僕と同感だった。
少なくとも、当時はね。

だから、『東芝EMIのイベント/ロックが生まれた日』
のリハーサルのために、
冨士夫を連れて延ちゃん家に行く時、
『世田谷区から離れないんだな』
とか話しながら、多摩川に向かって
車を走らせたような記憶がある。

それにしても、あのイベントはヘンテコだった。
まるで高校生のサークルをグループ分けするみたいに
東芝EMIのアーティストを選り分けて、
別のグループを作らせたりしていた。
今だったら不可能だっただろう。
それだけ、ゆるい時代だったのだ。
なんでもありだった。
バンドブームだったし、
なんといっても好景気だった。
親会社は原発を推進するどころか、
文字通り、その核となっている。
そんな子会社のイベントなのだ。
今さら『ロックが生まれ』るわけはないのだが、
そこに疑問を挟むのはナンセンスのような、
そんな気運があったような気がする。

だから、なるべく面白がろうと思った。
『東芝EMIのお祭り』だと思えばいい。
だから、イベント当日には家族全員で行ったりした。
うっかりと、おふくろまで連れて行ったら、
リハ終わりの冨士夫をつかまえて、
「ふじお!今日は会社のイベントなんだから、
真面目にやんなきゃダメよ」
って、わけのわかんない釘を刺していたのを憶えている。
そんな時、冨士夫は決まって頭をかく。
かきむしりながら「かんべんしろよ」って顔をこちらに向けた。

さて、そのイベントへの参加だが、
TEARDROPSからは、
冨士夫と青ちゃんが参加することに決まっていた。
冨士夫は延ちゃんと二人で、
青ちゃんはショーネンと三宅伸治(MOJO CLUB)と
3人グループを組んだのだった。
「俺は大丈夫だから冨士夫の方に行ってやんな」
と言う青ちゃんの言葉に甘えて、
冨士夫のリハーサルに付き合うことにした。

手帳を見ると、1990年4月24日の
午後8時に延ちゃん家にお邪魔している。
今だったらケータリングで
快適なリハができるよう気を使うのだが、
あの頃の自分は気の利かない丸出ダメ男だった。
玄関から入って左側に位置する
延ちゃんの部屋で二人はギターを弾き、
構成やコンセプトを話し合い、
一曲作ろうと試行錯誤しているのだが、
時間が経つにつれ、だんだんとお腹がすいてきた。
そりゃそうだろう、夕飯時にお邪魔しているのだ。
世界中のどのマネージャーも
そんなときは、何やら食い物を
持参して行くに決まっている。
しかし、何故か僕にはそこら辺が欠落していた。
手ぶらで行って笑っていたのだ。
買いに出ようと思っても、
多摩川沿いは勝手がわからない。
「ほんとうにお腹がすいたね」
なんて延ちゃんも言い始め、
三人でぞろぞろとキッチンに移動して、
何かないかな?
なんて蟻のようになっている時だった。

「遅くなってごめんなさ〜い」
とか言いながら、
その時の延ちゃんの相方がご帰宅あそばした。
相方さんは挨拶もそこそこに
「お腹すいたでしょ〜」
なんて言ったかと思うと、
天使のように身をひるがし、
冷蔵庫をお覗きになり、
「有り合わせの物でごめんね〜」
なんてもったいないお言葉をおはきになった。
そして、まるで手品かと思うほどの手早さで、
僕らの前に三つの丼を運んできたのである。

なんだか高校生の頃、
友達の家に遅くまでお邪魔して
夕飯まで御馳走になっている時の気分に似ていた。
恐縮至極である。
しかし、そんなどんな思いも、
この魔法の丼にはかなわない。
ぶっ飛ぶほど美味いのだ。
嘘じゃない、見た目も華やかだ。
“ 変わったちらし寿司だ ”と、思った。
刺身もなにものってないのだが、
有り合わせの具だけで綺麗に仕上げてある。
中には見たことも無いような具材ものっていたが、
あまりにも欠食状態だったため、
あっという間にガツガツと食べ終わってしまった。

たぶん、人生の中で五本の指に入る旨さだった。
そのランキングは今でも変わらない。
料理は空腹加減とタイミングだと思う。
僕にとっては実にジャストだったのだ。
なんて、何を偉そうに言ってるんだ、おれワ…。

帰りの車の中で、冨士夫とふたりして
どちらかともなく「旨かった」トークになった。
「あんなに美味しい“ちらし寿司 ”始めてだね」
と言うと、
「ああ、今度、延ちゃんにレシピを聞いてみてくれよ」
と冨士夫も言う。
そんな会話をしながら、その日は帰った。

そこから一日空けた翌日、
4月26日に渋谷のMAC St.で、
冨士夫と延ちゃんの『ひまわり』と、
青ちゃん、ショーネン、三宅組の『黒い三角定規』
合同のリハーサルがあった。

夕方5時からだったが、
僕は1時間くらい前から行っていた。
エミリからも、
「“ちらし寿司 ”の作り方、延ちゃんに聞いておいてね 」
と言われている。
一昨日、冨士夫が家に戻ったときに
エミリにも話したのだ、あの絶品感を。
ゆえに、僕は早くから行って、延ちゃんを待っている。
こういうことには、努力を惜しまない自分って、
いったい、何なんだろう?
なんて思っていると、間もなく延ちゃんが現れた。
ドアから入ったところで僕を見つけて、
「あっ、トシさん、この間はど〜も」
なんて言ってくる言葉に、
「ごちそうさまでした、延ちゃん。
ところでさ、聞きたいことがあるんだけど」
という言葉を上書きした。

「何でしょう?」
と不思議がる延ちゃんを
エントランスの角に移動させ、
「一昨日のさ、あの“ちらし寿司 ”、
作り方教えてくれないかな?」
と、さっそく聞いてみた。
すると延ちゃんは、“エッ? ”っていう顔をしている。
「冨士夫が知りたがっているのだよ」
と、言わなくてもいい台詞をつけ加えた。
「一昨日、うちで食べてやつですよね?」
少し、延ちゃんの目が月のようになっていくのがわかった。
「そう、その“ちらし寿司 ”」
延ちゃんは愉しそうに目を変形させると、
「トシさん、あれ“ちらし寿司 ”じゃ、ないっすよ!」
っと、奇異なる言葉を言う。
「エッ!?」っと驚くコチラに向かって、

「ビビンバ です!」
 と、言い放った。

「………………………………!?」

初めて聞く単語だった。
同じような響きのダンスなら知っているが、
【ビビンバ】だと?
そ〜ゆ〜ものを喰ったのか?おれワ。

急いで、スタジオでスタンバッている
冨士夫のもとに走った。
そして、チューニングしている
冨士夫に向かって報告をした。
「ちらし寿司の正体がわかりました」
冨士夫は、弦を伸ばす手を止めて、
下からこちらを見上げる。
「ほぅ、作り方は聞いたのかい?」
おだやかに微笑んでいる。

「あれ、ビビンバ でした」

冨士夫の顔が、そのまま静止した。
冨士夫もまた、知らなかったのである。

そのやり取りを、そばで聞いていたエミリが
あきれたように吐き捨てた。

「ビビンバだって? アンタたち、ちらし寿司と
ビビンバの違いも解らないのかよ!」

そして、つけ加えた、

「あぁ、情けない…」 と。

今からちょうど26年前の春、
1990年のゴールデンウィークの始まりに
『ロックが生まれた日』は行われた。
4月28日/大阪城野外音楽堂
30日/日比谷野外音楽堂 である。

時を同じくして、

僕は生まれて初めて【ビビンバ】を知った。
実に35歳になったばかりの頃であった。
ちなみに、冨士夫はそのとき41歳だった。

教えてくれた延ちゃんには、
今でも、海よりも深く感謝している。

「グラシアス アミーゴ! ビビンバ」

(1989年〜1990年)

PS.去年の12月のイベントのときに『THE PRIVATES』が演奏した村八分のナンバー、『鼻からちょうちん』は格別にかっこ良かった。今年は、何回か『よもヤバ・イベント』もやろうと思っているので、延ちゃんや『THE PRIVATES』の皆さんには、気力と時間の許す限り付き合ってもらえるとありがたいな、と思っています。

■それと、直前ですが、来る・5月4日(水)に新宿の『RUIDO K4』で、かつて『THE PRIVATES』でギターを弾いていたJOE KIDS率いる『ニューバビロニアンズ』のレコ発ライヴがあります。詳細は下記ですので、お時間のある方はぜひともお寄りください。

5月4日(水)新宿『RUIDO K4』
S.E.X Records Presents『Rock & Roll Circuit Vol.6』
ニューバビロニアンズCD発売記念SP#2
出演;ニューバビロニアンズ/THE BEGGARS with Joe Kids/
The Ding-A-Lings/藻の月/Grrrl

OPEN 18:30 / START 19:00
前売¥3,500+D 当日¥4,000

新宿『RUIDO K4』
〒160-0021
東京都新宿区歌舞伎町1-2-13新光ビルB2
TEL:03-5292-5125 Mail : k4@ruido.org

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