046 『山口冨士夫 BIRTHDAY PARTY 2016!』今夜はおやすみ
冨士夫が崖っぷちから復活したのは
旧友、吉田クンのおかげだ。
エミリやナオミちゃんの、
真綿でくすぐるような介護の成果でもある。
どうしようもなく途方に暮れているとき、
内田ボブが励ましに来てくれた。
冨士夫は、大鹿村の人たちにエナジーをもらい、
再び歌い始めたのだ。
『支える会』を立ち上げてくれたのは、
京都時代からの旧知の仲間だった。
デカイ身体を揺らしながら寺田さんがやって来る。
その、差し伸べた手には、
みんなの気持ちが乗っかっていた。
最初、あまのじゃくな冨士夫は
そのニュアンスにとまどっていた。
どうしても少年のころの
切ない気持ちを想い起こさせるからだ。
人間の根幹に触れるコンプレックスは、
気持ちでコントロールできるもんじゃないのだ。
それでも、名前も顔も知らない人たちの心が
そのときの冨士夫を、文字通り『支えて』くれていた。
そんなとき、
クロコダイルの西さんが山荘を手配してくれた。
それは、オーナーのガンさんの奥さんの気持ちでもある。
そこで冨士夫は、ひと息ついた。
森の中での生活が始まったのだ。
毎日、たき火をして、歌を唄った。
仙台から『NAKED YEGGS』のクサカくんや、
その仲間たちが遊びに来た。
色んな人たちが森の空気を吸いに来た。
青ちゃんと18年振りの再会をはたしたのも此処だった。
あんなに永いこと離れていたのに、
二人が話す内容がまるで昨日の出来事のようだ。
青ちゃんが笑うと、冨士夫もつられて笑う。
そこに意味なんかはない。
それは、大事な時間を共有した者同士が
感じる照れのようなもの。
思わず照れてしまうほどの時間の流れに、
わけもなく笑っちまうだけだったのだ。
2008年に行われた『クロコダイル』でのライヴは、
そんな森の中での日々に対する応えのようなものだ。
そして、冨士夫自身が、
元気を取り戻した自分に対する答えでもあった。
西さんや、ガンさんの奥さんにお礼をする意味でもあるのだが、
何よりも、支えてくれたみんなに会いたかったのである。
会ってひと言、「ありがとう」と言いたい、
そんな気持ちを込めたシーンだったのだ。
この日、『村八分』のマネージャーだった木村さんが、
ステージそでのテーブルで、喜楽の瞬間に身を委ねていた。
1970年代初期のあの時間からつなげて、
どんな想いでこの日の冨士夫を感じていたのか、
それを想うと計り知れない。
帰り際に、
「冨士夫は、まだまだ人気があるんだな」
と言って嬉しそうに目を細めていたのが印象的だった。
さて、その後も冨士夫の日常は何度も上下した。
その度に誰かが身を起こしに来てくれる。
久保田麻琴さんが『京浜ロック』に
引っ張り出してくれたことは、
その後の音楽活動につながった。
「バンドの名前ってのは重要なんだぞ。
なんたってその通りになっちまうんだから」
って、冨士夫がいつも言っていた
『ブルースビンボーズ』のPチャンが入って、
三たび『冨士夫バンド』が復活。
ベースに『TEARDROPS』のカズを招いて、
後期の存在感を世に示している。
それらのシーンをとめどもなく映像に残し、
ライブドキュメンタリー映画としてまとめたのが
『皆殺しのバラード』である。
川口監督の手がけたこの映像の中に、
シリアスな瞬間をとらえた冨士夫の姿も見ることができる。
冨士夫はことあるごとに言っていた。
「俺が逝っても、葬式はしてくれるな」
「トリュビュート・ライヴはしてくれるな」
「追悼アルバムを作ってくれるな」
だから、僕らは、それをことごとく守ってきた。
内輪だけで葬儀をさせてもらい、
一周忌のかわりに『皆殺しのバラード』を
上映させてもらったのである。
でも、まだ、みんなにお礼を言っていない。
まだ、みんなと一緒に騒いでもいないのだ。
お盆に生まれて、お盆に逝っちまった
『ミスターお盆』の冨士夫。
それが、本当なんだから仕方ない。
同じ『お盆』なら、思いっきり楽しんだほうがよさそうだ、
ってんで、 BIRTHDAY PARTYにしたのだと、
エミリや、その仲間たちは言っている。
当日は、冨士夫が大好きだった、
プライベーツの延ちゃん(延原達治)が
トリュビュート・バンドの
ヴォーカルをとってくれるそうだ。
ギターのPチャンは今頃、楽しみながら
Tシャツのデザインをしてることだろう。
よもヤバからも、何かつくろうか?
なんちゃってね。
とどのつまり、来てくれる皆さんに、
冨士夫のあることないこと肴にして、
想いおもいの『よもヤバ話』をしてもらえれば、
コチラとしても嬉しいのだ。
「今年のお盆は何してるんだい?」
そんな、冨士夫の声がする。
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みんなと一緒に遊んだりしていると、
向こうの方に冨士夫が見える。
条件反射で近寄って行くと、
そこに居るのは、やっぱり冨士夫なんだ。
「あれ? 冨士夫、やっぱり逝ってないんだ」
そう言うと、冨士夫は黙って向こうを見ている。
ここんところ、そんな夢を何度もみる。
起きてしばらくは、ぼぉっとしながら、
フツーにスケジュールのことを考えたりするのだ。
……どうやら、僕のお盆は、
もう始まっているのかも知れない……な。
(2016年 梅雨)
PS. これを読んだエミリから連絡があった。
「冨士夫、そっちに行ってるのね」
と言うのである。
ずっと、エミリ・ドリームの中にいたのが、
最近では、とんとご無沙汰らしい。
夢っていうのは不思議なもので、
冨士夫が現れても、フツーなのである。
別に意識したりもしない。
時代背景も環境もへったくれもありゃしない。
起きてから、あれっ?って思うだけなのだ。
アレ、冨士夫だったよな。って、感じ。
まぁ、いつまで居てくれてもいいのだが、
ひとりじめもなんだし、どなたか、ご要望があれば、
次に会ったときにそっと伝えます。
「あなたたちが呼んでるよ」ってね。
……それでは、『今夜はおやすみ』を寝音に
今宵はゆっくりとおやすみくださいませ。