055 番外編『村八分ー前夜/前編/恒田義見』いきなりサンシャイン / チバユウスケ × 内藤幸也 × TOKIE × 茂木欣一

970年、ザ・ダイナマイツが解散して、
冨士夫が自由に飛び回っているとき。
『村八分』の本を読み返すと、
毎日の登場人物が忙し過ぎて、
何がどうなってんのか、目が回る。

その中で、チャー坊が登場してくるシーンあたりから、
セッションばかりやっていた冨士夫の中に、
バンドを作りたいという想いが
ムクムクと起き上がってくるようだ。

それは、チャー坊をヴォーカルとしたバンド。
つまり、村八分である。
しかし、この時のチャー坊は踊ってはいるが、歌っていない。
歌えるようになるまでには、まだもう少し時間がかかるのだ。

それでも、京都を根城に冨士夫はバンドを作ろうとする。
その青写真に写るメンバーは、東京人。
その東京人が京都人と入れ替わっていくにつれて、
村八分はその姿をカタチにしていく。

古い青写真の最初のほうを見てみよう。
立川直樹さんの紹介で、
高校を出たばかりの少年が冨士夫に託されている。

恒田義見(つねだ よしみ)さん、
当時、立教高校から日大芸術学部に入ったばかりの19歳。
冨士夫の記憶では、アメリカ帰りになっているが、
どうやら新宿、六本木あたりをウロウロしていたらしい…。

しかし、彼が青写真の
最初のドラマーになったのは確かである。
バンドの骨格や基礎を築くシーンだったが、
生身の想いが垣間見えて興味深い。

『村八分』は、これまで
冨士夫からの情報がほとんどだった。
しかし、当然として、10人居れば、
10話の村八分/よもヤバ話が存在しているはずだ。

これは、聞いておかなくっちゃ、と思った。
11月3日のクロコダイルで、
よっちゃん(加藤義明)と対談してもらうのだが、
ここは、ひとつ、その前哨戦ということで、
恒田義見さんのよもヤバ話を、
前編/後編でお届けしようと思う。

…………………………………………………

日が暮れた高円寺で待ち合わせた。
駅前ロータリーを見下ろすことのできる2階の店。
時間ぴったりに恒田さんが歩いて来るのが見える。
コチラに気づいて軽く会釈をする。
恒田さんは、ゆったりとした感じの人。
とても話しやすい空気感を持っている人だ。

当時の話をするというのは、
本人にとっても、
46年前へタイムスリップしなければならない。

その想いを1970年に合わせて、
ゆっくりと、……時空を越える話が始まった。

「高校の門のところで幸宏(高橋幸宏)
が待ってるんだよ。
彼が同じ高校の下級生だったからね。
“恒田さん、ジャズ喫茶に行こうよ、
今日はダイナマイツなんだ”って」

恒田さんは高校生のころから
普通にバンドをやる環境にあったらしい。
同じ学校の1級下が高橋幸宏さんで、
少し上になるが、
細野晴臣さんともつながっている。

「とにかく幸宏は冨士夫のギターが好きだったんだ。
その凄さをどのくらい僕に語っていたことか…。」

ダイナマイツは多いときで、
週に2回くらいは観に行っていたと言う。
池袋のドラム、新宿のラ・セーヌ、アシベ…。
学ランのまま、ジャズ喫茶でたむろする
二人の高校生が想い浮かぶ。

そんな風だったから、
恒田さんは高校生のころから
そうとうに生意気だったらしいのだ。
自身もグループサウンズを中心とする
ミュージシャン連中との付き合いがあった。

そんな関係のなかで、
立川直樹(プロデューサー/ディレクター)さんに、
「冨士夫がドラマーを探してるから」
と、六本木のアマンドに呼び出されるのだ。

「よれよれのアーミー服に
紫のジーンズをはいて、
335を抱えている山口冨士夫が、
アマンドの2階に現れたんだ」

と、脳裏に焼き付く冨士夫との
ファースト・コンタクトを
恒田さんは語っている。

「おれ、冨士夫。
京都でバンドをやろうと思ってるんだ。
ヴォーカルはチャー坊って奴。
ギターは俺の他にもう一人いる。
ベースはあてがあるんだが、
ドラムがいねぇんだ、探してるんだよ」

と、冨士夫は言ったという。

さて、そう言われて、
「じゃあ、俺がやってやるよ」
と二つ返事で言えるはずもない。
相手は少し前まで週2で
夢中になっていた、あの冨士夫なのだ。

だから、気のきいた言葉が出てこなかった。

「自分も、将来的には音楽を仕事にしたいとは、
思ってはいるんですが…」

なんて、わけのわかんない
まどろっこしいことを言っていたら、

「じゃ、音出しに行こうぜ!」

って、あっという間に
新宿のサンダーバードに
連れて行かれた。

成り行きで、その日に出演していたバンドとの
セッションになった。
冨士夫が強引に恒田さんをドラムに座らす。
と、同時に、いきなり
『モナ』のイントロが始まった。

本物のプロと演るのは初めてというより、
冨士夫と演っていること自体が信じがたい。
冨士夫がセッションで巧みに音を回す。
それこそ見失っちゃいけないから必死だった。
倒れてもいいから演りきろうなんて想いで、
10分なのか15分なのか、
あるいはもっと長かったのかも知れない演奏が、
ようやくエンディングを迎えたとき、
ほっとしている恒田さんのところに、
冨士夫が笑顔を見せながら
ゆっくりと近づいて来て言った。

「もう1曲いいかい?」って…。

そのセッションが終わって、
放心したように空(カラ)になっているところに、
「決めた!」って言いながら
冨士夫が近づいて来た。

「お前さぁ、京都来いよ」って。

京都に着いたら此処に電話しろって、
1枚の紙切れを渡されたのだ。

「思い返せばあのときが、
我が人生最初の分岐点だね。
初めて本気で悩んだんだ。
この状況で京都に行くってことは、
ドロップアウトを意味してたからさ。
覚悟が必要だったんだよ。」

だけど、2週間後には、
京都行きの夜行に乗っていた。
(当時は、まだ夜行なんだな…)
冨士夫との関わりを
チャンスだと思うことにしたのだ。

渡された電話番号は
フリーゲートという事務所。
というより、コミューンと呼んだほうが
合っているのかも知れない。
絨毯が敷いてあって、
ステレオと机とベッドがあり、
そして誰でも寝泊まりできるように
幾つもの寝具が置いてある、スペース。

「いま、冨士夫たちが来るでぇ」

フリーゲートの住人・
加藤さんが言ったかと思うと、
ドアがバーン!っと開いて、
チャー坊、冨士夫、青ちゃんの順に入って来た。

「おぉっ!」っという感じ!

背筋に何かが走ったように体勢を起こすと
どうしようもなく彼らを凝視した。

チャー坊の髪が尻の下まである。
そんなことにまずは驚いたんだ、という。
冨士夫はなごやかだったけれど、
青ちゃんは知らん振り。
そっぽを向いてるのが印象に残った。

恒田さんがドギマギしていたのを察した
チャー坊が「ほなら、行こーか」とか言い出して、
みんなしてオモテに飛び出した。

これから、四条河原町にある『バチバチ』
というディスコで音を出すのだ。

「ストーンズ・ナンバーを
数曲演ったんだと思うけど、
明確には覚えてないんだ。
僕は歌えたので、
冨士夫のヴォーカルとハモった。
当然、リード・ヴォーカルをとった曲もあるよ。
そのときのチャー坊はまだ歌えてなかった。
演奏に合わせて踊ってばかり。
青ちゃんのベースもほとんど聴こえてこないんだ。
調子に乗った僕は、
ほんとうに空気が読めない
生意気なガキになっちゃってね。
チャー坊や冨士夫たちに、
軽口を叩いたこともある。」

そう言って恒田さんは、
“ ほんとうにどうしようもない ”
というように苦笑いをした。

「ほんとうに生意気だった……」

そう言って、46年前のシーンに暫く沈み込む…。

「そんなガキをさ、
バンドに誘って京都まで呼んじゃったんだ。
冨士夫ちゃんも随分と我慢しただろうし、
むやみに怒れないジレンマが
あったのかも知れないな。」

…………………………………………………

冨士夫の『村八分』という自伝本によれば、
このときから1週間の『バチバチ』セッションに入る。
7月に行われる『富士急ハイランド』
のイベントに出演するためだ。

1970年の初夏、
村八分という名のバンドはまだない。
『富士急ハイランド』には、
裸のラリーズで出演するのだ。

恒田さんは、このまま京都で1年半
(東京にも帰ったりもするのだが)
過ごすことになる。
それは、村八分前夜の儀式のようなもの。
発見と、とまどいが交錯する
めったにない時間の流れだ。

さて、その話は次回【後半】に持ち越すこととして、
ここでは最後に、冨士夫にまつわる、
とっておきの恒田エピソードで
締めくくることにしよう。

…………………………………………………

結局、僕はフリーゲートに居ついた。
だけど、金もなかったし、
いつも腹が減ってたんだ。

だから、よく冨士夫に愚痴ったよ。
冨士夫が俺を京都に誘ったんだからさ(笑)。

「腹減ったよ、冨士夫ちゃん」

そうしたら冨士夫が、

「それじゃ、恒田、美味いカツ丼喰わせてやるよ」
って、また偉そうに言うんだ。

「お金ないじゃん」
って言うと、

「いいから!」
とか言いながら連れ出されるわけ。

二人して食堂の前まで行くと、
「ここのカツ丼がとびっきり美味いんだ」
って、冨士夫が言う。

そのまま入るのかと思ったら、

「あっ、いけね、おれ、用事を思い出したわ」

とか言って、500円をくれてね、
「これで先に喰ってろ、後で行くから」
って戻って行っちゃった。

……そこのカツ丼はほんとうに美味かった。

でも、食べながらだんだんと気づくわけです。
用事なんかあるはずないよなってね。

…フリーゲートに戻ると、
何事もなかったようにギターを弾いてる冨士夫がいる。

「冨士夫ちゃん、なんだよ、戻って来なかったじゃん、
でも、あそこのカツ丼、ほんまに美味かったわ」

って、言うと、
そこで初めて、冨士夫はコッチを向いて笑うんだ。

わかっているのに「ありがとう」も言えない自分と、
普通に奢ってくれりゃいいのに、
妙に気を使って切ない冨士夫がいる。

いま、憶うと、そんなささいな一コマが突き刺さる。
もしかすると、僕らの関係は
ずっとそんなだったのかも知れないな…って。

(2016/09/21 高円寺)

PS.

【よもヤバNight Party】
11月3日( 文化の日 )原宿/クロコダイル
※よもヤバトークShow/村八分トーク【出演;恒田義見 & 加藤義明】
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●The Ding A Lings ●VESSE
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Charge;3,000/3,500
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