060『遥かなるMixing Lab 1/マイアミ〜ジャマイカ』夢じゃないぜ
みなさん、こんにちは。
あっ、今晩はの方もいやっしゃいますね。
おはようの人だっているのかも知れません。
…まぁ、いいや、きりがアリマセン。
懸案の【よもヤバNight Party】も終了し、
ホッとしている今日このごろ。
出演していただいた皆さん。
付き合っていただいた皆さん。
観に来てくだされた皆さん。
今度行けばいいやと思ってる皆さん。
本当にありがとうございました。
内容に関しましては、
またゆっくりとこねくり回す事といたしまして、
今回は、久し振りに
本編の【よもヤバ話】へと戻ろうと思います。
まずは話の流れのおさらいから……。
【前回までのざっくりとした話の流れ】
我がTEARDROPSは、
何の曲も出来ちゃいないのに、
2枚目のアルバムをレコーディングするため、
サンフランシスコへと渡った。
そんな自らを崖っぷちへと追い詰める
勇敢なる4人ではあったが、
それはそれで、どうにかこうにか、
くんずほぐれつしていくうちに、
いつの間にかベーシック録音が仕上がっていく。
「さぁ、じゃあ、ジャマイカに行きますか」
そう軽口を叩いてくれる
久保田麻琴プロデューサーを先頭に、
メンバーでは冨士夫だけがカリブに渡る。
あとの3人は日本に帰国しちゃうのである…。
…っと、思っていたら、
どうやらカズをシスコのホテルに忘れたらしい。
「起きたら、誰もいなかったんだよぅ…」
約26年振りに、ついこの間、
カズと呑んでる席でそう告げられたのだった。
そう、あの日…1990年の2月4日。
僕らはサンフランシスコからジャマイカへと
Get up, stand upしたのだ。
それでは、 遥かなるMixing Labへの旅、
「クールランニング」に出発するのである。
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【アメリカ/マイアミ 1990/2/4】
サンフランシスコからテキサスを経て、
マイアミ国際空港へ着いた。
旅行慣れした久保田麻琴さんの後を、
僕らはガァガァ鳴く
ガチョウのようについて行く。
ところで、この久保田麻琴さん、
とても気の良いジェントルマンなのだが、
何故か冨士夫と並ぶと怪しく変貌する。
このとき僕らは、その見た目のせいで
危うくマイアミで足止めを喰うところだったのだ。
マイアミ空港というと、
いわずと知れた中南米への玄関口。
アメリカの他の空港とは、
また違った雰囲気なのだ。
乗り継ぎのためにターミナル間を移動していると、
英語よりスペイン語のほうがよく耳に入ってくる。
わりと混雑している通路を歩いていると、
一定の間隔で鋭い眼光の男が立っているのだ。
犬を連れた者もいれば、
そうでない者もいるのだが、
これはあきらかに麻薬捕り物を
生業としている人たちだ。
ボクたちはそういったモノは
大嫌いなので関係ないのだが、
何故か勝手に早足になる。
ターミナルは意外と広いので、
乗り継ぎがある場合は早めに移動したい。
ただそれだけなのだ、本当に。
出入国審査のカウンターに並んでたら、
冨士夫と一緒に隣のカウンターに
並んでいるはずのエミリが
何故か僕の後ろにいた。
「どうしたんだよ、冨士夫はアッチだろ?」
って言うと、
「だって、あの二人が並ぶと怪しいんだもん」
と答える。
見ると、冨士夫と麻琴さんが
隣のカウンターで怪しく並んでいる。
こういう時のエミリはおそろしく鋭い。
そして、あまりにもドライだ。
案の定、冨士夫と麻琴さんは、
そのまま空港の取り調べ室まで
持って行かれたのだ。
機内で待っていると、
テイクオフ寸前に二人が現れた。
「冗談じゃないぜ、空港の職員は
俺がプッシャーで、
麻琴ちゃんがディーラーだって言うんだ」
憤慨した冨士夫がまくしたてる。
「なるほど…」
二人の姿を流して見ると納得である。
久保田麻琴さん、冨士夫と並ぶと
まさに怪しく変貌するのだった。
それに気づいたみんなは大笑いした。
ふっと見ると、麻琴さんも笑顔だったが、
薄いサングラスの中の目は笑っていなかった。
さて、そんな風に和やかに
問題なくテイクオフしていく私たち。
マイアミ国際空港からジャマイカ・
ノーマンマレー空港までの
飛行時間は約1時間50分。
機内では麻琴さんが、
「前回、乗った時はね、大変だったんだよ」
って、笑えない笑い話をする。
「人間って、本当にもうダメだって時は笑っちゃうんだよね」
と、冷たく微笑むのだ。
前回乗ったジャマイカへのフライトで、
機が急降下したのだそう。
究極のジェットコースターだったそうで、
“このまま海に落ちていく”
と確信したときに、
「はははははははははははははは!」
と、大きく笑っていたのだそうだ。
「それで、落ちなかったのですか?」
「だね。僕はこうしてここにいるからね」
そう言って愉快そうにすました。
大変に奥の深いお話だったので、
今でも鮮明に覚えている。
おかげでジャマイカまでの
フライトは落ち着かないまま、
退屈しないですんだ。
麻琴さん、その説は貴重な体験談を
ありがとうございます。
聞きしにまさる臨場感に、
あんなに眼下の海が美しいと
思ったことはございません。
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【ジャマイカ/キングストン 1990/2/4】
ジャマイカのノーマンマレー
国際空港に降り立ったのは、
1990年2月4日の夕暮れだった。
空港ロビーから外に出ると、やけに暗い。
国際空港だというのに明かりが少ないのだ。
暗がりにジャマイカ人たちが
ウヨウヨしている。
なんだか初めて見る光景に
非現実にいるような気分になった。
目の前で何本もの腕が踊っている。
ジャマイカ訛りの英語で、
数人の男がいっせいに
話しかけてきたアクションなのだ。
それが、フリーのトランスポーター
だとわかったのは、
麻琴さんが、
「そこでぼーっとしてると危ないよ」
って言ってくれたからだった。
危うく初めて見る現実に
意識を持って行かれるところだった。
気を取り直して自分に言い聞かせた
“ジャマイカに来たんだ、油断は禁物だぞ”
ってね。
僕らのことは『レゲエ・サンスプラッシュ』
を主催しているプロダクションのスタッフが
迎えに来てくれていた。
ジャマイカに滞在している間、
彼らが今回のコーディネイトをやってくれる。
総てはプロデューサーである
久保田麻琴さんのプラン。
麻琴さんRoadを僕らは進んでいたのだった。
さて、いよいよジャマイカでの
ダビング録音が始まる。
『遥かなるMixing Lab 』の幕上げなのだ。
ふと横を見ると、
盛り上がる僕らを尻目に、
何やら冨士夫が
シリアスなたたずまいをしている。
どうかしたのか聞くと、
「歌ができてねぇんだ…」
静かにポツンと呟いた。
そうなのだ、
ミュージシャンにとっては、
シスコもキングストンもない。
必要なのは、天から降ってくる
インスピレーションなのである。
ここはジャマイカ。
遥かバビロンに向かって祈ろうではないか。
東京から祈り始めて二ヵ月余り。
僕らの祈りは果てしないく、
まだ続いているのだった……。
(1990/2月4日 マイアミ〜ジャマイカ)