062『遥かなるMixing Lab3/ジャマイカのミュージシャンたち』 すったもんだ
なんだか、浅めの、
なが〜い夢をみてたような気がする。
ニューバビロンホテルで目覚めた朝、
まるで夢の続きのような風景に目をこすり、
冨士夫を呼び出すことにした。
はらが減ってたので、
モーニングも食べたかったし、
ぐるりとホテルの敷地内も
見て回りたかったからだ。
南国の朝は早い。
なんとなく僕らはプールの方に向かっていた。
日本ならまだ朝のラッシュ時間だろう。
それなのにプールサイドは
すでにハイソな白人たちで華やいでいる。
おいおい、それにしてもこの風景、
見事にバビロちゃってるじゃないかぃ。
それこそ、ジャマイカ人の
ジャの字もありゃしない。
まるでアメリカに逆戻りしちまっかのようだった。
ふと見ると、プールサイドの奥に
バーカウンターが見える。
トム・クルーズがバーテンダーの役で
踊りながらシェイクする
映画『カクテル』のような世界だ。
僕らは、そこで朝っぱらから
一杯だけ飲むことにした。
ここはジャマイカなんだからいいだろう。
「ヤーマーン」だし「クール・ランニング」なのだ。
見慣れない甘いカクテルをゆっくりと含みながら、
プールサイドを見回す。
ふと、視線を感じて、
その方向に目を移した。
すると、ハイソな白人たちの中に
見慣れた人物を発見する。
その人はビーチチェアに沈んでいた身を起こし、
ゆっくりと片手を上げながら近づいてきた。
「朝イチで移って来たんだ、ここもいいよね」
そう言うと、薄いサングラスを左手で動かし、
なめるようにホテルの敷地を見渡した。
そして、微笑みながら言ったのである。
「ところで、
ここはバビロンじゃないのかい?」……と。
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今さらにいうが、
久保田麻琴さんはジャマイカに詳しかった。
少なくとも、
そんじょそこらのガイドよりディープだ。
初日は、クルマで色々と
周辺を案内してくれた。
リーズナブルで安心なレストラン。
市内にある幾つものスタジオ。
山の中腹にあった、
ドラッグディーラーの夢の跡など…。
そして、最後に着いたのが、
遥かなる『Mixing Lab』Studioである。
それは、ジャマイカの首都、
キングストンのダウンタウンから
北に向かった閑静な住宅街の中にあった。
そんなにも広くない敷地に建っている
少し大きめの一軒家、
第一印象はそんな感じだっただろうか。
エントランスから入るときに、
何やら掃除をしている
ジャマイカ人男性に挨拶をした。
「Hello、ヤーマーン」
ところが、次に彼を見かけたのは
スタジオの中だった。
驚いたことに巧みなギターテクニックを
披露していたのだ。
“この国では、誰しもがミュージシャンだ”
というと言い過ぎかも知れないが、
少なくともこのスタジオでは
雑用係の人までもがチャンスを待っている。
それは、いつ来るかもわからない
“ハンカチ落とし”のようなもの。
陽気にモップで廊下を拭きながらながら
軽快にスタンバッているのだ。
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のんびりとした熱気が頬をなでる。
ゆるやかに吹く風が、
まるでレゲエのリズムのように揺れていた。
が、しかしである。
一方の冨士夫は、それどころではなかった。
何曲かの詞が、まだできあがってなかったのである。
当然、作家のようにホテルにこもる。
せっかくのジャマイカ観光もありゃしない。
“ すったもんだ ”の明け暮れだったのである。
そのかたわらで、麻琴さんは次々と
レコーディング・プランをこなしていた。
まるで、オートメーションのように
ジャマイカの名だたるミュージシャンが
スタジオにやって来た。
ご存知、ウェイラーズのタイロン(Tyrone Downey)は、
『谷間のうた』以来の登場。
『グッ、モーニン』に印象的なシンセを入れてくれた。
レゲエ界を代表する名サックス・プレイヤー、
Dean FraserがCHIKOやNAMBO
と組んで、トリオでホーンを吹いてくれた。
かと思うと、
世界屈指のパーカッショニスト、
“Sticky” ThompsonがHARRY POWELLと
軽快なるリズムを奏でる。
LARRY CRAGGのスチール・ギターに見とれ、
DWIGHT RICKNEYが跳ねるような音の
ギターを弾くころには、
もう訳がわからなくなっていた。
それはギャラ(演奏料)の話だ。
次から次へとやって来るミュージシャンに
“トッパライ”のギャラが発生する。
タクシーと呼ばれた
スライ&ロビーへの“トッパライ”には対応したが、
ジャマイカのミュージシャンが、
そろいも揃って現金払いとは予想していなかった。
「その方がギャラを安く抑えられるんだ」
そう言う麻琴さんのプロデュースに、
ついノッて支払う。
確かに大した金額ではなかったが、
一回ごとに払うのは、何だか妙な気分だった。
さらに、もっと大事なことに気がついた。
『領収書』がないのだ。
シスコではEMIのディレクターが
やってくれていたので必要なかったが、
ここでは支払った証明書が必要だ。
「麻琴さん、領収書を忘れてきました。
スタジオにはないですか?」
忙しそうにミキサーと向かい合う 麻琴さんが、
コチラも見ずにいとも簡単に言う。
「ないよ」
……なんとも簡単だ。
どうしたらよいのだ。
このままでは金を払ったあかしがない。
これは困った……、お間抜けだ。
何をしているのだ、オレわ!
っと、ワニに頭をくわえられた気分のときである。
「そこら辺の紙に書いちゃえばいいんだよ」
ミキサーの横にあるメモ用紙のきれ端を破ると、
麻琴さんがそれをミュージシャンに渡した。
「ソコニ、モラッタギャラト、ナマエヲカイテクレ、アンタ」
みたいなことを言っている。
「ヤーマーン、ノープログレム!」
ジャマイカ風の挨拶をして、
紙の切れ端に金額と名前をサインする。
確かに、これしかないか。
書いてある数字を確かめてスマイル。
「センキュー ベリーマッチ、ナイス プレイ!」
そんな調子で、この日のゲストたちのギャラは
メモ用紙に書いてもらうことにしたのだが、
底抜けに明るいジャマイカ人たちは、
数字が紙からはみ出てしまって
机にまで書いちゃったりする。
まさか、机まで切って
持ち帰ることはできないので、
もう一度書いてと頼むと、
わざと壁に書こうとするので
スタジオ中大笑いになる。
そんなドタバタに僕も笑ってはいたが、
心の中は不安が渦を巻いていた。
“領収書を手に入れよう”
明日のためにもゲットしなくてはならない。
そう思い、ダウンタウンに行くことにした。
タクシーに乗って文房具屋を探す。
だけどここは、吉祥寺じゃあるまいし、
文房具屋などあるはずがない。
適当に商店街になってきたところで
タクシーを降りて歩くこととした。
今の僕だったらこんなことはしない。
あぶないったらありゃしない、からだ。
だけど、当時はへいチャラだったのだ。
ルンルン気分で、
まるでアメ横を歩いている気分だった。
ゴチャゴチャしたストリートを
調子に乗ったジャパニーズがふらつく。
そのうち、エサに寄って来る魚のように
ジャマイカンたちが話しかけてくる。
「Hey! Japanese!」
次から次へと寄ってくるので、
さすがにかったるくなってきた。
文房具屋なんてあるはずがないじゃないか。
ショッピング・モールに行きたいけど、
この魚の群れをかいくぐって行き着くのは、
ワールドカップの予選を闘うほどの
根性と覚悟が必要だぞ……と、途方に暮れる。
……そのとき、
「ヘイ! サッキノ アンタジャナイカ!」
声のする先を見ると、
レゲエ帽にラスタヘアをした
小さなオッサンが微笑んでいる。
パーカッショニストの”Sticky” だ。
少し前に初対面だったはずなのに、
この状況のなかでは妙に懐かしい。
まるで10年振りに親戚の叔父サンに会ったような
安心感がオイラを包み込んだ。
Stickyは、そこらの雑魚を排除してくれ、
代わりに仲間たちを紹介してくれた。
目の前でレゲエなジャマイカンたちが
踊るように握手を求めてきた。
握手といってもジャマイカ・スタイルは
コブシをくっつけ合う、ヤーマーンなのだが。
見るとそこは、ミュージック・ショップの前だった。
世界で最もレコーディングに
参加していると云われている
Stickyの根城である。
ミュージック・ショップといっても
商店街にある小さなレコード屋を
想像していただきたい。
(小さなレコード屋が、もうないか…)
きっと、この場にいた
周りの輩たちもミュージシャンなのだろう。
Stickyが僕のことを紹介すると
突然に色めき立った。
「いや、オイラは、ただ領収書を探しているだけなのだ」
っていう英語が出てこない。
だいいち、領収書って何て言うんだ?
レシートか? 違うだろ!?
なんて思っていると、
とにかく店に入れと言う。
考えてみればこの僕は、
たった今しがたまで
スタジオでStickyと一緒だったのだ。
周りのみんなもそれを知っている。
ついにはドタバタしながらも
どこまでも明るく軽薄なジャパニーズは、
狭い店の中に入って行くタコなのであった。
店の中はレコードよりもカセットの方が多く並び、
意外と奥行きがあるようだった。
中ほどから奥には楽器が置いてあり、
簡単な音出しができるようになっていた。
そこでセッションが始まる。
数人がギターを弾き始め、
レゲエっちゃってる。
まだ、うすら若いころ、
わけのわかんないまんまに入り込んだ、
吉祥寺の『ぐあらん堂』や、
国分寺の『ほらがい』や、
高円寺の『稲生座』に居る気分がした。
自分とは居場所の違う人たちが、
話しかけてきてくれている。
そんな気分なのだ。
セッションは30分くらい続いただろうか、
Sticky以外の人は得体が知れなかったが、
もしかすると名のあるミュージシャンも
いたのかも知れない。
無知は時に本当に無礼である。
その後もひとしきり談笑して、
店をあとにするのだが、
今になって思えば、
滅多にない体験をしたのかも知れない。
こうして当時のシーンを想い起こすと、
やはり、浅い夢を見ていた気分になる。
ジャマイカのキングストンは、
何もかもが味わったことのない感覚だった。
デンジャラスで、塀や壁の壊れた街並み。
そこらじゅうに音や絵が溢れる風景。
欧米人たちとは違う、優しい目をした人たち。
……そのどれにも魅かれた。
Stickyの店での帰り際、
お礼の意味も含めて
幾つものカセットを購入した。
その金を支払いながら、
Stickyの顔を見て言ったものだ。
「ワン モア レシート プリーズ」
それを聞いたStickyは
クシャクシャになって笑い転げた。
そして、すかさず壁にサインをするフリをするのだった…。
(1990/2月)